■シーサー登場!沖縄大決戦(73話)
脚本/武上純希 演出/生頼昭憲 作画監督/山口泰弘(ムチムチヤマグッチ先生)

シーサー「鬼太郎先生、恐れ入りました。どうかわたくしを、弟子にしてください。
      この通り、平に、平に、お願い申しあげ奉りまするーーー!!!」
(こんなにキッパリハッキリとした「衆道」の申し込みも珍しいものです。)

沖縄のキャンギャルのポスターを見ただけで、あらぬ妄想に先走り道端で欲情するネズミ男を誰か止めてやって下さい。
ピカピカの80年代ギャグに意識が朦朧となりそうです。
アイキャッチが推定いなのん先生作画モノに変わったこの回より「狂い後期鬼畜」と定義しようと思います。

足以外には色気のかけらもない健康的なヤマグッチ先生作画の老成したムチポチャ鬼太郎で、倒錯的な「義兄弟の儀式」を
見ることが出来たのは幸運だったのかも知れません。何せ山口鬼太郎がとてつもなく
カッコ良く見えます。
キジムナーにムチの使い方を教えたり、頭をなでなでしてあげたり、この回の鬼太郎は奇しくも「兄」的要素がふんだんで
これ以降「暴君」にのし上がるとは夢にも思えない優等生ぶりなのであります。

個人的に対大ムカデ戦、作画が普段のヤマグッチ先生よりも数段カッコ良い&カワイイのはどうした訳でしょうか。
萌えてしまいそうです。これが「萌え」ってやつですか。そうか。そうなのですね。
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鬼畜度/☆    狂い度/★   


■妖怪万年竹(74話)
脚本/星山博之 演出/白土 武 作画監督/清水明(清水並ギャグ!)

シーサー「鬼太郎さん!私でお役に立てることがありましたら、何なりとお申し付け下さい!
      鬼太郎さんのためなら、不肖私、たとえ火の中水の中・・・!!!
鬼太郎「・・・」(あまりのことに赤面)
(シーサー、沖縄より鬼太郎宅へ押し掛けての決死のプロポーズ。)

ネズミ男「鬼太郎に惚れたって訳か」/シーサー「素晴らしい方です!」というやり取りのごとく、先週元気に
お別れしたはずのシーサー、この回より沖縄の平和を守るどころか、鬼太郎ベッタリの懶惰な生活へと突入します。

 この回、何はなくとも金林家の「万年竹の精=中年女」が大いなるポイントとなっています。
山口奈々演じる抑揚のないのっぺりした喋りは我々の心を惹き付けて止まず、「復讐です。」「そうです。」と手短に
言い切る潔さのあまり、ついつい鬼太郎ですら「失礼。」「奥さん!」などと語調が伝染ってしまった程の影響力です。

また戦闘シーン、中年女の笑い声だけで最後の切り札・ヌリカベ登場まで持たせようという間延びした演出方法は、
やはりこれも恐るべき中年女の陰謀だったのか・・・と。ラスト筍と化した中年女を両手で持ちつつ「金林さァん」と
甘えたおねだり口調の愛らしい清水鬼太郎を見つつ・・・・。この回、児泣き爺の無防備な下半身は必見です。
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鬼畜度/☆    狂い度/★☆  


■妖怪小豆連合軍(75話)[天童家]
脚本/大橋志吉 演出/芝田浩樹 作画監督/稲野義信(マニアウケ)

正夫「しかし良心的な店だねえ。味もいいし、しかもタダなんて。」
(天童家の夕餉では紙パックのおはぎ、小豆餅、お赤飯を皿にも分けずにむさぼり喰うのです。おかずも無しです。)

マニアウケのいなのん先生は、選ぶ回までマニア向けです。
(鬼太郎から吹き出した小豆を食べてみたいと切に願うマニアは、私と正夫を筆頭に数多く存在することでしょう。)
全身から吹き出す小豆に頭を抱えて苦しみ悶える鬼太郎、更に容赦なく鬼太郎を畑の肥やしにするべく生き埋めにする
小豆連合軍の猟奇的所行---ところでこの「小豆連合軍」、我らが「山田連合軍」のライバルでもあるのですが。

「小豆連合軍」とは一体誰の生み出したワードかと探ってみれば、出所は目玉親父のこの一言。
「思った通りじゃ!小豆婆に小豆洗い、それに小豆はかり!小豆連合軍が揃いも揃いおって!」
そこから派生して鬼太郎がこの3人に向かって指差しの断言。「小豆連合軍!もう悪さはやめるんだ!」
 親子揃って断言され、遂には小豆婆自らが。「小豆連合軍にはかなうまい!」
・・・長くなりましたが、「名称の固定法」として興味ある事例だったので引用してみました。

ところでこの回、秘密のベールに包まれた天童家の夫婦の寝室が垣間見れてしまうという非常に貴重な回であります。
寝台を挟んで向かって右側に正夫のベッド、左側に妻・優子のベッド。
ベッド脇のスタンドは、右側の正夫寄りに固定されており、つまりこれは「スタンドの灯を消す主導権」を夫の正夫が
持っていることを暗示しております。が、これ以上は夫婦のプライバシーにつき、言及は避けたいと思います。
合図は・・・正夫が眼鏡を寝台に置くか、眼鏡ケースにしまうか、なのでしょうか・・・(言及するな)

その他見所:鬼太郎が供給中のおしるこを、恐らく平日の昼間に、一番前で美味しそうに食べている正夫が気になってたまりません。
会社ぬけてきたのか。
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鬼畜度/★    狂い度/★★  


■人喰い島と海和尚(76話)
脚本/武上純希 演出/芹川有吾 作画監督/柳瀬譲二

鬼太郎「離せ!このスッポン野郎!!!!
(何という鬼畜的言葉遣い・・・・!胸キュン★)

謎のワンマン作監、柳瀬さんの本気です。
未だ鬼太郎を描き慣れない感がありますが、慣れない故の不安定な頭身の高さは意外にオススメです。(頭身の低さも)

村人の放尿に激怒する「島神」、
という出だしにふさわしくこの回は糞尿オンパレードかつ下世話なエロスに満ちています。
 自分を救ってくれる客人であるオユロタユヤ仙人・ネズミ男に執拗な食責めを繰り返す島の生贄・おとと嬢の
倒錯した性癖は云うにおよばず、一貫して「食と排泄=スカトロフェティッシュ」に際立ったこだわりを見せる回です。
奇しくも食責めの最中、まるで自らが食責めに用いられる食べ物のごとく島の体内へと侵入する鬼太郎は、
糞尿愛好家垂涎の「自らが食され、糞となり肛門から排泄されてしまいたい。」
という永遠に叶わぬ願望をいとも容易く具現化してしまいます。

しかもその後、人体の「境界」である肛門を介し、排泄された糞から自らを再生するという行為に至っては、
これぞまさに
究極の糞尿プレー。脱糞ならぬ脱帽です。

また、海和尚に噛み付かれた際の鬼太郎の台詞。
「海和尚!血迷ったな!離せ!海和尚!やめろ!うんああ!」
という一連の雄叫びと暴れ具合は、あらぬ妄想にトリップしてしまうくらい魅力的です。要視聴。要視聴です。

その他見所:両腕を差し出し「シーサー!」と迎える鬼太郎と、「ハイナー!」と嬉しそうに鬼太郎の胸に飛び込むシーサーを見よ!
なんとうらやましい!ギリギリ。衆道おそるべし。
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鬼畜度/★★   狂い度/★★  


■妖怪手の目と地獄の餓鬼(77話)
脚本/星山博之 演出/明比正行 作画監督/清山滋崇(影3段の男・体臭の作画)

鬼太郎「アチョー!!!!
(この回だけです。アチョー鬼太郎を拝めるのは。この回だけ。清山だけ。)

ノー天気なキノコマニアのおじさんが起こした大騒動。危うく地上が餓鬼で溢れかえるところでした。
しかも本人は、あっさり冒頭、餓鬼に食い殺されてしまうというこの救いのなさ。無敵に素敵な残酷が光ります。

この回は、鬼太郎が下駄を手に持ち「アチョー」、蹴りを入れつつ「アチョー」、走りながらも「アチョー」
とにかく
アチョーなのです。どうかしてます。どうしちゃったんですか。
これが果たして、星山氏の脚本に書いてあった台詞なのか、それとも体臭のワタワタ清山作画を見ながら思わず戸田さんが
口走ってOKが出たものなのか、非常に気になるところであります。恐らく、後者が有力かと・・・。

その他見所:赤ワイン漬けという、これまたマニアな責め方をされる鬼太郎が「くっ」と手の目を睨み付けるアップに清山さんの本気が!
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鬼畜度/★★   狂い度/★☆  


■マンモスフラワーと山男(78話)
脚本/武上純希 演出/葛西 治 作画監督/清山滋崇(影3段の男・体臭の作画)

ユメコ「カ〜モ〜イ!
(小学生にして、凄まじくセクシーな下着姿を披露するユメコ嬢。レースのキャミソールですよ!)

まさかの清山作画2連発です。これはイケメン松本作画2連発に続く快挙です。一体どうしたんでしょうか。
しかも更に狂いがパワーアップ。

 この回は、ネズミ男とシーサーによって発見された山男による「大地へのレイプ」が公然と行われた
非常に原始的なエロスに満ちみちた話であります。

全ては鬼太郎の眼前で。
山男は東京を陵辱し、自らの種子を振りまき、放尿によって大地を冒涜し、そして懐妊させる。
マンモスフラワーとエロティックな樹木によって、文明都市・東京は徹底的に犯され、退廃的なエロスを色濃く発します。
更に山男の男根的分身・マンモスフラワーから放たれた胞子によって「原始に戻った」人々の、目を覆いたくなるような
本能的な行動。----この様な生々しくも官能的な情景を、鬼太郎はむせかえりそうな濃密な空気の中、傍観しているのです。

東京を山男の男根から取りかえすべく夜行さんの所へ向かった鬼太郎の、悪びれた演技は激烈です。
「東京はマンモスフラワーが生えて、原始の森に変わっちまったんだア。」
このカットの影3段・清山作画の本気の鬼太郎は、目眩がするほど男臭くてカッコ良い。

また、この東京レイプの最中、恐らく出勤していた正夫も原始に戻って「カモーイ」と叫んでいたに相違なく・・・。
この回、清山作画にふさわしく、どうしようもないくらい猥雑に狂っております。大好きです。
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鬼畜度/★★   狂い度/★★ 


■妖怪やまたのおろち(79話)
脚本/大橋志吉 演出/石田昌久 作画監督/松本朋之(イケメン御三家/しょうゆ顔)

シーサー「は!鬼太郎さんの匂いです!」
(どんな匂い!!!???どんな!??)

キーワード:諏訪緑著「おろち舞い」

脂ののってきたイケメン松本鬼太郎の、このカッコ良さを見て身体反応0の人間は不能の人です。
ヒーロー・3代目鬼太郎を代表する作品と、自信を持って推薦出来る回でしょう。
前半ラスト、おろちの生贄として両手両足を鎖で繋がれた鬼太郎とユメコちゃんの妄想カット含めて傑作です。

「目は熟したほおずき色・背には杉、檜、苔が生い茂り好んで娘を喰らう大蛇」
やまたのおろちは水害の象徴というのが通説ですがもうひとつ、男根支配の象徴という説もあったりなかったり。

 そして閉鎖された空間内では、男根たちの向かう先にも長い時を経ての変化の兆しがあったのでしょうか。
古来、生贄としてやまたのおろちに捧げられてきたのはうら若い乙女達であったはず。
それがヒロシの様な眼鏡っ子美少年を捧げる様になったその背景に見えるのは、閉鎖された空間内での
永遠に昇華されない男たちの屈折した感情が、悪露の様に凝り固まって堆積していく過程であり。

 男たちの発した悪露が形を成した「やまたのおろち」
故に、「ヤツは本当の英雄かも知れんぞ!」と、男たちが戦う鬼太郎を熱い眼差しで見つめて応援する様には
鬼太郎こそ、自分たちをこの澱みきった男根の鎖から断ち切ってくれる「両性具有の神子」だと思い定めた、
渇望する思いがうかがえるのです。

その他見所:戦いの直後、ユメコに抱きつかれた鬼太郎が思わず顔を赤らめるシーンは、まんま少年の様で愛らしいです
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鬼畜度/★★   狂い度/★☆  


■妖怪吹消婆プロレス地獄(80話)
脚本/武上純希 演出/生頼昭憲 作画監督/入好さとる(イケメン御三家/ソース顔)

ユメコ「茂草ー!タンク松竹なんかブッ殺しちまえ!!
(ユメコちゃん・・・!!!!!!)

ドリー夢メーカー★武上さんと、格闘技大好きっ子の新岡さんが手を取り合って入好さんを巻き込みました。
「3部の神様」と呼ばれる作監コンビに存在すら「亡きもの」とされてしまっている禁断の怪作、伝説の回です。
ちなみにこのクドイ、スゴイ、狂いの3連発、作画の荒々しさと激しさから、これは100%キングオブ鬼畜☆
新岡浩美作品かと思っていたのですが、何と入好さんが半パート描いていたという衝撃の事実に、
私の中の可憐な入好像は
ガタガタです。しかしこれは、当時国民に大いなるショックを与えたこのカットは、
間違いなく新岡さん作だと思われます。思いたい。思わせろ。

 格闘技とは、濃密な性交渉そのものである。
原作で度々見られる「いきなり女性に犯される鬼太郎」を、イケメン入好鬼太郎で体感出来るこの回、
ポイントはやはり「リング上で鬼太郎を犯した女」タンク松竹に絞られます。

 異常な金銭欲に燃える吹消婆の陰謀から女子プロレスラー・タンク松竹を救ったのは、鬼太郎の命がけの「愛」。
単身東北から上京し、プロレス一筋で不器用に生きてきたタンク。勿論、恋の悦びなど知ろう筈もありません。
そんな自分に(文字どおり)体当たりでぶつかってきた「初めての男」、それが鬼太郎でした。
衝撃の出会いであります。

タンクを救うためにタンクと戦う。鬼太郎は一週間の地獄特訓を経て、タンクの「相手」にふさわしい男へと成長します。
リングはいわば、2人が契りを結ぶ神聖な場所です。食うか食われるか、犯すか犯されるか、生きるか死ぬかの土壇場。
命がけの「行為」の末、鬼太郎はタンクを征することで「男」になり、そしてタンクは「女」になることが出来たのです。

また「事後」の2人の、身体を重ねた親近感からもたらされる穏やかな表情と揺るぎない信頼感情を、
この様な特異な解決方法の成功事例として記しておきたいと思います。

あの荒々しい、命の火花が散る濃密かつ恍惚とした瞬間を、鬼太郎に征された絶頂感を、タンクは生涯忘れまい。

その他見所:「飛んで火に入る鬼太郎だ。二度と正義ヅラ出来ないようにしてやる!」(by吹消婆)というこの禁断の台詞の直後、
       タンクにコテンパンに犯される鬼太郎や、兄の目を盗んでプロレス観戦に来ている山田さんの妹・啓子さんの存在や、
       ネズミ男の悪趣味すぎる衣装や、何はなくとも鬼太郎の地獄特訓、そして指差しの連続・・・・!もう、凄すぎます。
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鬼畜度/★★   狂い度/★★★ 


■コンビ妖怪手長足長(81話)
脚本/星山博之 演出/岡崎稔 作画監督/平田かほる(イケメン御三家/色気担当)

鬼太郎「お前たちのしていることが、ただの弱い者イジメだからだ!」
足長 「弱い者イジメえ?だから何だ!こんな
面白えことが他にあるか!!!」

3頭身のあたまでっかちキャラばかり描いていると、例えデッサンが狂っていようとも思う存分スラリとした
長い手足を描いてみたい・・・と切望するものです。鬼太郎の足を長めに描く平田さんなら尚更です。
願いが叶って手長足長です。その結果、地上放送では放送禁止になったこともあるくらいの手足の長さです。
本気が過ぎましたか、平田さん。

話中に「タコ」という単語が飛び出したその数なんと41回。単純計算で30秒に1回は「タコ」です。
これがこの回、別名『タコ』と呼ばれる由縁です。

可哀想に折角の平田鬼太郎、「標的はタコ」という何ともスケールの小さな事件で、結局仲間の見ている前で
ボコボコに蹴られるだけという素敵な活躍の仕方をしてくれます。その数推定
15回以上。蹴られてくれます。
蹴られて飛んで松の木に打ちつけられて気絶するの図、などはさながら春画のごとき美しさ。いえ。これは春画です。

それにしてもタコ。腐ってもタコ。元通りになってお礼を云うタコの群れの没個性さを見て、「異端」とはかくも
集団生活の中で不向きなものか、と思わずにはいられません。

その他見所:見せ物小屋に入場の際、「そのうちちゃんと払うよ」などと全く払う気のない顔でネズミ男に2500円の貸しを
言い付けられる鬼太郎は原作風味でかなり珍しい。お金に困った様子の見られない3代目では貴重なシーンかも。
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鬼畜度/★    狂い度/★★  


■妖怪串刺し入道(82話)
脚本/大橋志吉 演出/芹川有吾  作画監督/稲野義信(マニアウケ)

串刺し入道「ぐえっへっへ。お前達もじーっくりと見物しておくんだナ。鬼太郎が標本になるところをナ。」
(異常性癖MAX!!この妖怪には自分と同じ匂いを感じます。)

いーなーのーん先生まさかの1人描き。及川さんはきっと、こんな悪趣味な回の原画はいやだったのでしょう。

イヤな話です。陰湿・粘着・猟奇・耽美・悪趣味を全て網羅した、マニアの粋を超えた迷作です。
禁忌の森の奥深く、洞穴の更に奥、湿った祠の中で生き物を剥製にするのが生き甲斐という標本コレクター串刺し入道。
金にモノを云わせて人間のつがいの剥製を作りたいという歪んだ願望が全ての発端です。何とイヤな発端。

見所は何と云っても、鬼太郎を剥製にするまでの一連の異常とも思える舐め回す様なしつこい描写と演出です。
・あざやかな手付きで鬼太郎をまず針責めに。(その際、鬼太郎の股間のアップに注目)
・そして大の字に戸板にはりつけられた鬼太郎を、腰に手をあてて高笑いの視姦プレイ。
(その際、鬼太郎の屈辱の表情に注目)
・ネズミ男とツトム少年にも視姦を命じ、鬼太郎の腕にブツリと注射を。(その際、鬼太郎の恐怖に耐える表情に注目)
・「ほうれ、ほーれー」と、鬼太郎が剥製になる様を楽しむ最中、妖しく光る注射針と紫の唇。

あまりにも常軌を逸した異常描写の連続に、追い討ちをかけるかの様なゾンビ大量飼育の事実。
更には串刺し入道の本気・首スポン攻撃、そしてとどめの一撃、倒錯的な
このカット
こんな猟奇!猟奇!猟奇!な構図!&鬼太郎の掟破りなカワイイ驚愕の表情は、いなのん先生ならではです。

こんなイヤな話は初めて見ました。最高です。

ちなみに「標本」とは…
「ありのままの姿で保存するために、それらの個体もしくはその一部に適当な処理を施したもの」
(大辞林第二版より)だそうです。標本にされたあの空白の時間、どんな処理が鬼太郎に対して行われたのか
考えはじめると気になってたまりません。ハアハア。
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鬼畜度/★    狂い度/★★  


■雨神ユムチャック伝説(83話)
脚本/武上純希 演出/芝田浩樹 作画監督/松本勝次(肝臓に病あり)

カルメン「美しい乙女たちに囲まれ、お腹が空けば美味しい果物を食べて、
疲れたら美しい小鳥たちの子守唄で眠る。老いていくことも、病気になることもない。
それが、内田さんの本当の心が求めている幸せというものではないのですか?」
内田「うるさい!俺はもっと、地位や名誉が欲しいんだ!!!」

作画監督・勝次先生有終の美を飾りました。
「丸顔の鼻ペチャ鬼太郎なんかより、可愛い女の子描きたいな・・」と切望している様が今まで何度となく
作画から伺い知れた勝次先生、最後は美少女美女美男子てんこ盛りでフィナーレです。まさに勝次のユートピア。

***荒俣先生もビックリ的歴史ロマンドリー夢設定、マヤ文明の影を色濃く残す日本の「魔矢ヶ島」。

「舟」に乗り「羊水」を漂いながら「子宮口」を抜けると、そこには裸体の美女たちが暮らす「ユートピア」がある。
そこは「男視点」から見た、非常に分かりやすいユートピア。美女の楽園。母の胎内。

 「不能の人」考古学者・内田は、あれ程の美女たちを前にしながらも、己が不能であることを知りました。
彼は「地位や名誉」が欲しかった訳ではない。己を取り戻したかったのです。しかしそれは、叶わなかった。
内田は「動機」をすり替える事にしました。そしてその「動機」に固執するしかなかった。
そうでなければ、己が保てなかった。カルメンの「言葉」に崩れてしまいそうだった。

鬼太郎との戦闘シーンで露出した性器を見るに、男性としての機能は未だ果たせそうもない雨ふり小僧。
ユートピアの、母の胎内の番人は、内田と同じく「不能の人」でありました。
そしてそれは、楽園の本来の姿でもあります。
「悪の実」を食べた者は、種を蒔いた者は、「楽園」を追放されるのが宿命なのだから。

それならば。
マヤ族の神・ユムチャックが激怒した、楽園への「侵入者」は「不能の人」内田ではない。
鬼太郎である。

怒りに満ちたユムチャックが、怒りの鉾先を向けたのは、誰が最初であったのか。
「羊水」を激しくほとばしらせて「楽園」を封印したのは、一体何故なのか。

ユムチャック-----それは哀しい、「不能の神」であります。

その他見所:カルメン&内田視点で、「裸体の美女たちと鬼太郎が立ち尽くす楽園の図」は何だかかなり狂っていてイカれそうです。
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鬼畜度/★    狂い度/★☆  


■地獄一周!妖怪マラソン(84話)[閻魔大王]
脚本/星山博之 演出/白土 武 作画監督/清水明(清水並ギャグ!)

鬼太郎「2度優勝したって本当なのかア!?お先に!」
花子「・・・生意気な子!!!」

「清水並ギャグ!」は、この回から誕生したワードです。これぞ元祖清水並ギャグ!!冴え渡って寒いです。

「賽の河原→三途の川→しゃれこうべの道→地獄門→針の山
→血の池地獄→閻魔大王庁→極寒地獄→灼熱地獄→無間地獄」
これが「地獄マラソン」のコースです。このコースから推察出来るのは、人間の想像力の「マイナス嗜好」。

つまり「天国」と「地獄」、そのイメージを複数挙げてみろと云われた場合、多くは「地獄のイメージ」を
より鮮明に、より数多く例に挙げることが出来るでしょう。
云ってみればそれだけ、「地獄」というところは「面白い」場所なのです。
「楽しい場所」「幸せな場所」よりも、人は「より具体的な残酷な世界」を覗かずにはいられません。悲しい性です。

***「ボクたちには『死』がないから実感が無かったけど、花子さんの両親は悲しそうでしたね。」
自ら「死」を選んだ女子ランナー・梅ノ木花子を気遣いながら、こんな残酷な台詞をさらりと吐く鬼太郎に驚愕しつつ。
砂かけ婆2800才、児泣き爺3100才という事実にも驚愕しつつ、鬼太郎の「お願い♪」おねだりに地獄全土開放しての
地獄マラソンを開催してしまう閻魔大王のますます磨きがかかる鬼太郎異常愛好気質にも驚愕しつつ。
ネコ娘がサービス★ブルマー!?とか、結局鬼太郎は、花子の胸に負けたのか、というそんな事実にも驚愕しつつ。

それでもこの話、見る度に泣いてしまう回です。
鬼太郎の凛とした厳しさとカッコ良さに。目玉親父の子を思う独白に。「結果」を見せない結末に。
ネズミ男のギャグさえも。

その他見所:無間地獄で、汗まみれで這いつくばる鬼太郎の姿には激萌え!!!萌え!モエーーー!!!しーみーずー!!!LOVE★
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鬼畜度/★★   狂い度/★   


■河童一族とたくろう火(85話)
脚本/大橋志吉 演出/石田昌久 作画監督/松本朋之(イケメン御三家/しょうゆ顔)

優子ママ「星郎聞いてるの!?パパもこんな成績じゃ悲しむわ!もっと頑張りなさい!
やれば出来るわ!あなたはママの子ですもの!」
(悲しむのは正夫ではなくて優子ママ。耐えろ星郎。泣くな星郎。逃げるな星郎。いや、逃げろ。)

キーワード:寺山修司著「家出のススメ」

3部本編の戦闘シーンの中で、一番好きなカメラワークがこの回です。抜群のカッコ良さ。動く動く動きます。
この鬼太郎のカッコ良さを存分に引き出している演出&作画を見ると「3代目鬼太郎は、戦ってこそ、動いてこそだ」
と痛烈に思います。1枚絵ではとても表現出来ない、3代目鬼太郎の「動」の魅力----戦う彼の、圧倒的な存在感。
泣けてきます。

***初めてユメコちゃんの弟・星郎視点から天童家が語られた貴重な回です。
優子ママの教育熱心を装ったヒステリックな叱り方と、「河童の子は1人で遊んでいればそれで充分楽しいんだよ」と
諭す河童の三吉の母の姿には、寺山修司的「母の恐怖」がおのずと浮き彫りにされ。

星郎も三吉も、逃げたかったのは「人間社会」「河童世界」からではなく、より具体的な「母体からの逃避」。
(これは冒頭「母」の象徴・地球を飛び立つ「男根」の象徴・ロケットに乗る自分を妄想する星郎からも推察出来ますが)
故にこの回「父権」の正夫はその姿を一切見せることはなく、ユメコと星郎・母と星郎という奇妙にエロティックで
歪んだ構図のみが生々しく印象に残ります。

結果、『時には母のない子の様に』望んだ星郎が、母権の喪失している鬼太郎の元へ救いを求めて走り寄る姿は
しごく当然の成りゆきであり、また、その背後には、自分たちの存在が星郎を「鬼太郎フェティッシュ」へと
導いているとは露知らない強大な女たちの揺るぎない姿があるのです。

 それにしても羨ましいのは、寝入っている鬼太郎の姿を朝から堪能出来る星郎と、また、星郎のあどけない呼び声で
目覚めることの出来る鬼太郎と・・・。女たちには秘密で、囁かれる少年2人の朝の会話--------。

***ひとつ気になる点は。
EDテロップを見るに、星郎を呼ぶ先生は「若杉先生」となっています。
彼女は前半、姉のユメコちゃんの担任だったことを考えるに(少なくとも「妖怪やまたのおろち」までは)
ユメコや星郎は、鬼太郎世界の中で確実に年齢を経て成長している様です。嬉しく、そして悲しい現実です。

その他見所:星郎が涙でベチョベチョの顔で奴隷の強制労働に従事する様や、涙を流しながら「鬼太郎たあーん!!」と懸命に
鬼太郎を求める様はショッタッコッン★魂と異常性癖に火がついて発火するくらいの見所です。
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鬼畜度/★   狂い度/★☆   


■妖怪香炉悪夢の軍団(86話)[ぬらりひょん]
脚本/武上純希 演出/葛西 治 作画監督/清山滋崇(影3段の男・体臭の作画)

ぬらりひょん「鬼っ太郎たちを叩きつぶせィ!!!」
(天高く右手を上げ、腰をくねらせ、追い風を受けるぬらりひょん先生のこの姿。とくと見よ!)

「人は昼間の希望を夜になって夢に見るんじゃ。」という目玉親父の言葉通り、武上ドリー夢、そして
ぬらりひょんの「夢」がえげつない形をとって具現化された、非常にフェティッシュかつエロティックな回です。
冒頭からすとん、と、しごく当たり前の様に鬼太郎世界の、そして世の中のあらゆる「常識」が欠落したままに
物語は奇妙な説得力を持って「いざとなったら夢オチ」の開き直りを安全パイに、狂う、狂う、狂います。

この狂いに、作画フィナーレの清山さんはあらん限りの本気を滲ませ・・・影3段のぬらりひょんに敬意を表します。
(しかしこの武上・葛西・清山スタッフは「マンモスフラワー」同様、何かしらヤらかしてくれます。夢工場87>絶句)

***「ウヒヒどうじゃユメコちゃん、ワシと一緒に夢の世界へウヒヒヒヒ」
という、夜行さんの大人向け下ネタギャグ!オレ名前「夜行」だしネ!と云った感のハイレベルな「夜のお誘い」を
瞬時にして見破り「何を考えているんですか!」と本気で怒る鬼太郎と、ウットリ顔のユメコ嬢に脳髄を噴射させながら。

クジラが空を飛ぶ不条理さが、この回の全てを暗示しているかの様に・・・ぬらりひょんの、夢にまで見た願い、
「鬼太郎とお花畑で、思いきりハシャいで愛してそして殺してみたい・・・☆」。
そんな切なる「想い」が他の妖怪たちに「姿」を与え、様々な妖怪から精神世界のレイプを受ける鬼太郎の姿を堪能する
ぬらりひょんを、「現実」の世界に引き戻したのは。

ネズミ男の至近距離での放屁と性器露出。シーサーの放尿とは。これは涙を誘います。えげつないドリー夢の幕切れ。
 それにしても下駄を履いていない鬼太郎がこれほど無防備とは。「香炉が2つ!」と同じくらいの驚愕さです。

その他見所:ネズミ男を縛り上げる鬼太郎の凶悪な姿を見よ!ぬらりひょんが所持する望遠鏡の悪趣味なファンシーさを見よ!
      お礼のキッス☆のユメコ嬢の場慣れした色気を見よ!ワタワタと走る清山鬼太郎のカッコ良さを見よ!ていうか見ろ!!!
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鬼畜度/★★★ 狂い度/★★★  


■寄生妖怪ペナンガラン(87話)
脚本/星山博之 演出/生頼昭憲 作画監督/柳瀬譲二

ペナンガラン「お前も娘と同じくもう俺の思うがまま。お前の手足は今や俺のてーあーしー!!」
(そんな台詞を吐きつつ、鬼太郎に自虐プレイをさせてみるペナンガラン)

謎の柳瀬さんフィニッシュです。実は誰よりも一番ネコ娘のパンチラに命をかけていた作画監督です。
最後まで鬼太郎の頭身が伸びたり縮んたりしていましたが、ペナンガランに操られる瞬間の目の下に
しわの入った苦渋の鬼太郎の顔にヤケに萌えてしまったので、終わりよければ全て良しと相成りました。

また、地味ながら選曲とタイミングが結構ツボにきた回でもあります。

**古都・金沢(推定)の旧家の蔵深くしまわれていた、血塗られた伝説に彩られた獅子の頭。
幼心にもこの土着的な設定は恐ろしく、中でも旧家の主人が語る「腰元踊り狂い」の話と、泥棒によって
封印を破られた獅子の頭が動き出すシーンはかなりの衝撃だったのを覚えています。柳田的恐怖、という様な。

その「柳田的恐怖」が、実はあっという間に払拭されてしまったのも覚えています。
それは獅子頭が、それはまあぺらぺらぺらぺらジェスチャー豊かに「喋って」くれたからです。

例えば、動き出した獅子頭が、目だけギラギラさせながら「無音で」旧家の庭先の闇に立っていたら。
旧家の少女ユミに、何の「理」も説かずに理不尽な行動を強いるとしたら。
(それはあたかも沖縄の巫女にのりうつる海からの「まれびと」のように)
その「原始的恐怖」の闇の存在を、感知して絶叫する人の数はもっと多かったかも知れません。

 「言い伝え」の恐ろしさを伝えるには、太陽の光がいやに眩しい真昼の決闘でした。
言い換えれば、それが大衆のヒーロー3代目の、中和された魅力でもあるのでしょう。

その他見所:スイカを食べながら妖怪テレビを見ている、テレビ中毒の鬼太郎とシーサーの愛らしさはたまりません。
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鬼畜度/☆    狂い度/☆   


■不思議な妖犬タロー(88話)[天童家]
脚本/大橋志吉 演出/芹川有吾 作画監督/松本朋之(イケメン御三家/しょうゆ顔)

シーサー「向かうところ敵なしですね!鬼太郎さんは日本妖怪のチャンピオンだア」
鬼太郎 「まあね♪ あンな妖怪なんて朝飯前さァ!」

松本さん属する「スタジオ座円洞」独占!とばかりに「たくろう火」以降頻繁に作監・松本朋之現象が起こります。
ヤケクソの様にAパートの背景に描かれた「中華座円洞」、その隣には、いなのん先生の『妖怪小豆連合軍』で
使用された「グルメアズキ」店。
そうなると「ミホデンキ」なるミホというのは、当時の松本さんの彼女の名前だろうか・・・・と、
あらぬ妄想が花開きます。遊び心を忘れない、仕事大好き★な松本さんです。

***「鬼太郎さま」とでも呼びたくなる様な暴れん坊鬼太郎の鬼畜的所行の記録〜
ユメコちゃんを突き飛ばし、犬相手に本気を出し、人様の小屋を蹴り破るそんな数々の鬼太郎の悪行を
目の当たりにして思わず忘れてしまいそうですが、この回の根底にあるのは人間の悲しき「フェチ魂」そのものです。

「舌が武器とは!」と鬼太郎を震撼させた、何とも屈折した修行を鬼太郎に強いた仙人の「首輪」に
なみなみならぬマゾヒスティックな執着を抱くフェチ魂もさることながら。
「天童家では動物は飼ってはいけません。これは我が家の家訓です!!!!」
犬がいたら、鬼太郎くんが深夜に家に来られないじゃないか!とでも云いたげな正夫の必死の
鬼太郎フェチ魂にも頷き。そしてそんな正夫のいぬ間にネズミ男を平気で座敷にあげる優子ママの、
何やら底知れない投げやりな感情にも震撼しつつ。

やはりこの回の最大のフェチポイントは、
『鬼太郎』から「妖怪の属性(=鬼)」を外して無力化した『太郎』と云う名前を、拾った子犬に名付けたユメコ嬢。

「名前は、そう、タローにしましょう。首輪もつけなきゃ♪」
嬉しそうにはしゃいで常に「鬼太郎の分身」をかき抱き、太郎、太郎と名前を連呼して可愛がるその姿からは
自分の愛する相手を愛玩物として思うままに扱いたいという抑圧された感情が、愛くるしくも残酷に推察できるのです。

その他見所:えげつない修行中、鬼太郎が四つん這いで「ん・・あ・あっ!父さんっ・・どうしたらっ・・」と悶える様は
コマ送りすると狂いそうです。
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鬼畜度/★★★  狂い度/★★  


■木の子と妖怪山天狗(89話)
脚本/武上純希 演出/岡崎稔 作画監督/平田かほる(イケメン御三家/色気担当)

木の子代表「これ、モモコちゃんにあげようと思って作ったんだ。」
モモコ  「ワア、木の葉の服!・・大事にするわ。」
(最後の最後で服を着せました。今まで全裸でした。)

あえてユメコ嬢と酷似した美少女を20分間「全裸」で放置したその訳は、
「全裸」という属性が与える「脱エロス」でしょうか。
それは例えば、全裸の鬼太郎よりも胸ボタンを1つ外したその姿の方が
より官能的に映るのと同じ作用かも知れません。
モモコが上半身のみ衣服をまとって下半身は無防備だったら、
それは即「わいせつ」になるのでしょう。ギリギリチャレンジ。

***この回を見て誰もが頭に連想しつつ、口にするのはあまりにも馬鹿げていて
憚ってしまうことを恥ずかし気もなく述べてみたいと思います。

「天狗の森」に自生する「松茸」、アヤシゲなフォルムの「きのこの家」に住む「木の子」たちと、
巨大な鼻の「山天狗」。そしてタイトルバックに光り輝く、平田さんご乱心の「赤黒くそそり立つ物体」。
どう解釈しても
男根連鎖です。しつこいくらいに男根にこだわりを見せる回です。
皆、そう思っている筈です。

昔からの俗説に、「鼻の大きい男は陽物も大きい」というものがあります。ありますね。あるんです。

「のびろのびろ天狗の鼻〜〜〜!」と山天狗に鼻を大きくされてしまった鬼太郎は、無意味に倒れ込んで
しまいます。そして鼻が大きい間は、不自然過ぎる程に腰から下の正面からの描写がありません。
木の子たちに鼻を元通りにしてもらう時などは、正座をしつつ左手で股間を隠している様が見てとれます。

鼻の他にもう1箇所のびてしまったところがあったのです。だから戦えなかったのです。
側には全裸の美少女モモコがいるのですから、効果も2倍以上です。
オレンジの毛布を掛けて寝込んでしまったのは、毛布を掛けなければならない理由があったからなのです。

さすがに恥ずかしくなってきました。もう、やめます。しかし誰もが思っている筈なのです。口には出さないだけで。

その他見所:山天狗の鼻の穴に入った下駄をすぐに履かないで下さいいいい!きったないんですけど!清楚な平田鬼太郎なのに!
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鬼畜度/☆    狂い度/★★  


■妖精ニクスの青い涙(90話)[天童家]
脚本/星山博之・金巻兼一 演出/芝田浩樹  作画監督/稲野義信(マニアウケ)

ユメコ「パパ・・今日会社は?」
正夫 「もう会社なんか行かないよ。ユメコたちとずーっと一緒さ♪
ようし!今日はこれから皆で遊園地にでも行こうじゃないか!」
(正夫がとうとうご乱心です!)

いなのん先生がファンシーに走るとは意外でしたが、正夫の穏やかな狂気を描写したいという
マニア魂がうずいたのでしょうか。

この正夫主役のオイシ過ぎる回、ユメコ嬢のネズミ男に対する接し方もかなりツボにきたものです。
「みんなニクスっていう妖精のせいなんだわ!」と毒々しい感情を露わにして泣きじゃくるユメコ嬢と、
オロオロするネズミ男。鬼太郎の前では、その正義の精神から否定されてしまう故に露わに出来ない黒い感情を、
唯一吐露できる相手、しかもその全てを受け入れてくれる相手---それがユメコ嬢にとってのネズミ男の存在意義です。
これは双方なかなかに「良い」関係です。

***正夫の朝は早い。

私は天童正夫、45才(推定)。最近部長に昇進して忙しくなったというのに、残業は増えるわパソコンは分からないわ
妻の優子は眼鏡ケースをワザと隠して大胆なネグリジェで待っているわ(注:75話「妖怪小豆連合軍」参照)
ユメコや星郎は勝手に私の鬼太郎くんと遊んでばかりいるくせに休日まで私と鬼太郎くんを引き離そうとするわ・・・。

おや?何だろう?何か羽根の生えたモノが私を・・・。
よしてくれ。今日は急な用事が入りそうなんだ。鬼太郎くんと、今日こそ鬼太郎くんと・・・。

 す-----っとラクになった。何だか色々と。
それなのに鬼太郎くんは来ない。優子や子供たちは化け物でも見る様に私を見ている。
鬼太郎くんが来ない。こんなに待ってるのに。会社にも行かないで。時計。
さっきも時計を見た。こんな、こんなものがあるからいかんのだ。時間なんかに縛られるから。
時間から解放されたら、私も鬼太郎くんのいる世界にもっと歩み寄れるのだろうか。

 優子の声が聞こえる。
嗚呼、許してくれるのか。そうしてお前は、そのネズミの様な男と私をひき合わせるのか。
彼も「半妖怪」なのかね。それがお前の選んだ方法なんだね。

鬼太郎くんが見ているよ、フフフ。

その他見所:「おねえたんパパがあーー」と泣きべその星郎を見よ!
「いいから早くヤれ!」とツララ女に命令する鬼太郎の鬼畜さを見よ!DE正夫★
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鬼畜度/★★  狂い度/★★☆  


■妖怪ハンター・ヒ一族!(91話)[ぬらりひょん]
脚本/武上純希 演出/葛西 治 作画監督/入好さとる(イケメン御三家/ソース顔)

ぬらりひょん「今回は妖怪600年の中の奇跡だ。これからはまた敵と味方!」
鬼太郎   「でもォ、ぬらりひょん・・!」
ぬらりひょん「さらばだ!
正義ヅラした甘ちゃん鬼太郎!ワハッハハハハ、ハ!」

蟲毒の術〜毒虫の共食いに端を発して生まれ出でし、妖怪の天敵・ヒ一族(ヒいちぞく)との戦いという
なかなかに魅せる回。Aパートの入好鬼太郎とヒ一族との戦闘シーンは、鬼太郎の足の裏萌えという新しい
フェチ要素を開拓したという大きな功績のみならず、ダイナミックかつリズム感に満ちており、ちょっと珍しい
「走りながらの毛針打ち鬼太郎」も含めてかなりのハイレベルで必見です。

***「正義ヅラした妖怪人形を1匹欲しいんだが。ゲゲゲの鬼太郎とかいう・・・」
ヒ一族に向けて発したこの倒錯的な言葉には、ぬらりひょんの背水の陣・痛切な願いが込められています。

妖怪の妖力を無力化し、その全て「ぬいぐるみ」に変えてしまう意外にファンシーな攻撃方法のヒ一族が現れた
ことをぬらりひょんが知った時、彼は2つの方法を考えたのかも知れません。
それは、自分が「生きた人形」になるか。それとも鬼太郎を「生きた人形」にするか。

「人形=愛玩物」

ヒ一族と万が一、確率は少ないがもし万が一交渉が成立すれば、彼は鬼太郎を永遠の「人形」に封じ込めて
愛でることが出来る筈でした。しかしその望みが、あまりにも無謀過ぎることも自分で承知の上でした。
恐らくその望みは、叶わない。

 朱の盤は何故、「人形」と化したぬらりひょんを抱いて真っ先に鬼太郎の家に向かったのでしょうか。
彼は自分の信じる主人から、交渉前にこう告げられていたのかも知れません。
「わたしが『人形』になることがあったら、わたしを鬼太郎に託して欲しい。」と。
自分が「愛玩物」になる、それが、もうひとつのあまりにも屈折した彼なりの「感情と関係の昇華方法」。

結局は両者共に人形と化し、全てはふりだしに戻り、彼は鬼太郎の差し伸べた手を振り払うしか術がありませんでした。
自分が鬼太郎の「愛玩物」として側にあった、あの夢見る様な瞬間だけを支えとして。

その他見所:対戦中にわざわざ鬼太郎人形をブラブラと見せつけるヒ一族・夫にもなにゃら良からぬ性癖が見えます。可愛いんですけど。
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鬼畜度/★   狂い度/★★   


■人喰い家と妖怪家鳴(92話)
脚本/大橋志吉 演出/芹川有吾 作画監督/松本朋之(イケメン御三家/しょうゆ顔)

ネズミ男「ヒョーどっちも強い!家鳴頑張れ!鬼太郎負けるな!」
骨女  「アンタどっちの味方??」

***発端となった「最初の人間」にたまらなく残酷な興味を惹かれる回です。

 鬼太郎の、家鳴3人衆を目の当たりにしての反応には、本能的な「荒ぶる者への恐怖感情」が如実に見えます。
彼が新兵器・ちゃんちゃんこ剣という1回ポッキリ攻撃に出たのは、それだけ彼等への云い知れぬ恐怖感情が
強かった故の攻撃性の増幅なのでしょうか。では、その鬼太郎が感じた「恐怖感情」の源とは?

ナニかのシンボルの様に頭に角を生やし、精悍な身体に纏う荒々しい褌、武器を手にして下卑た笑いで「贄・鬼太郎」
を取り囲む家鳴3人衆、その光景。無惨な光景。そんな光景を、「人喰い家」は同じ様に冷めた目ではるか昔に一度見た。

人里離れた山奥で、家鳴3人衆の前に迷い出た人間-----退屈な山奥で「贄」が辿った凄惨な末路はどの様なもの
だったのか。「家」はそれを見ていた。あまりにも凄惨な光景が、凄惨な感情が「家」に渦巻き悪露と成して、
それはとうとう「人喰い家」となった。
「最初の人間」は男だったのか女だったのか。若かったのか年寄りだったのか。
それともそんな属性は家鳴たちには無関係か。

目玉親父が家鳴3人衆に問う。
「妖怪家鳴といえば、人里離れた山奥で静かに暮らしておった筈ではないか!?」
家鳴答える。
「前まではな。・・・ところがある日、迷った人間が俺たちの住処に入ってきた。
すると俺たちの家が人間を喰っちまいやがった。人喰い家になったのさ。」

 家鳴の、「発端」に対するこの底知れない残酷な台詞と、鬼太郎を見つめる飢えた生臭い獣の様な火照った目。
鬼太郎は本能的に、何かを「悟った」。そして恐れた。
家鳴の言葉の裏に見えた、「最初の人間」と同じ運命を辿ることを。
驚愕した顔、歯を食いしばって恐怖に耐える顔、そして戦いつつも本能的に後退してしまうその姿に、
鬼太郎の恐怖の深さが見える。

その他見所:ネズミ男の股間をカエルで隠した松本さんの同人的あざらし効果に脱力です。
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鬼畜度/★★  狂い度/★★   


■進化妖怪かぶそ(93話)
脚本/武上純希 演出/芝田浩樹 作画監督/山口泰弘(ムチムチヤマグッチ先生)

鬼太郎「天体望遠鏡で月を見ていたら、蔓が月から伸びてきて、宇宙人が裏の森へ降りていきました。」
(平野凡太の電波過ぎる手紙を朗読する鬼太郎。めちゃめちゃ電波なんですけど)

殿方が夢にまで見たに違いない「巨乳ユメコ嬢」「ミニスカユメコ嬢」を、肉感的なヤマグッチ先生作画で拝める回。
また、「妖怪のっぺらぼう」に続いてヤマグッチ先生のこだわり「屁、臭い」も拝めます。
国産月ロケット「KAGUYAHIME」、そのナンバー栄光の「HE 931」。
屁、一体屁に何の思い出をお持ちなのかヤマグッチ先生。

***全ては平野凡太の、夢物語だったのではないだろうかと軽いトリップを覚えるこの話。
月に妖怪が住んでいた、妖怪は「知恵の木」から蔓を伝って地球にやってきた、と高橋克彦氏が小躍りしそうな設定と
ユメコ嬢の常軌を逸した行動の数々に、宇宙へのロマンと乙女へのロマンを叩き壊された少年たちの行く末やいかに。

何とも無気味な存在感を持つ妖怪「赤頭」。彼の無気味さは、「非妖怪」の属性ゆえに発するものでしょうか。
人間を怨み人間を滅ぼそうとする赤頭、しかし彼の姿、行動、それらは全て彼の憎む人間と酷似したものであり。
「楽園」を追放されしきっかけとなる「知恵の実」を所持する彼は、一体どこから追放されて月に墜ちたのでしょうか。

人であることをやめてしまった。故に人を憎み、かつ人に固執し、人と違う時間軸で生きる。
「同族」だからこその生々しい感情----赤頭には、「同族殺し」の鬼太郎の姿がどう映ったのか。
「さあ!食え!」
と鬼太郎を押し倒し、知恵の実を食べさせようとするその倒錯的な行動、それは自分と同じ位置にまで高め、
そして堕としたい。自分と同じ様に「見なくていいもの」を見て絶望する、哀れな同族殺しを「彼岸」に導きたい。
そんな「想い」故でしょうか。

その他見所:「もらったあ!」のビリヤード山口鬼太郎は本気で萌えます。凡太と布団で寝ている姿くらい萌えます。
クネクネネズミ男くらい萌えます。
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鬼畜度/★   狂い度/★★★  


■高熱妖怪ぬけ首(94話)
脚本/星山博之 演出/白土 武 作画監督/清水明(清水並ギャグ!)

鬼太郎「みんな!手分けしてその胴体を探すんだ!
    それさえ手に入れておけばヤツが戻ってきた時、こっちの云うことは何でもきくさ!
(なんとも猟奇的な探し物と、爽やかな鬼太郎の酷い台詞に胸キュンです。)

キーワード:芥川龍之介著『藪の中』

小人帽をかぶった和田勉の様なぬけ首の、「ぬけ首並の逆恨み」と語りつがれし何とも困った話です。

***「鬼太郎かあ〜・・目の前がもうろうとして何にも見えねえ・・・」

『妖怪ブーム』に取り上げられなかったその原因を、ぬけ首は「鬼太郎のせい」、鬼太郎は「出版社のせい」
出版社は「当方の無知のせい」-------「真実」はどこにも見えてはきません。

「事象」には、関わった「意識」の数だけ、意識に切り取られた「真実」が存在します。
言い換えれば「真実」とはそれだけ曖昧模糊としたものであり、それは限り無く「無」に等しいものかも知れません。
共通の「事象」についての正反対な解釈と真実、そして多数の「意識」。

曼陀羅が示す「外なる宇宙」「内なる宇宙」の中で惑い、「頭」の意識の洪水で溢れそうになっているぬけ首の姿には
「勘違い」ではすまされない悲哀の悪循環を寒々しくも感じ、かつ「意識」が完全に共有出来ることはないかも知れない
その事実に、分かってはいながらもしばし、愕然としてしまうのです。

その他見所:「ひざに手をついて肩で息する鬼太郎」「火傷鬼太郎」「濡れ鬼太郎」「ほおばり鬼太郎」など実はオイシイ清水ワールド。
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鬼畜度/★☆  狂い度/★    


■笑い妖怪ヘンラヘラヘラ(95話)
脚本/大橋志吉 演出/今沢哲男 作画監督/平田かほる(イケメン御三家/色気担当)

鬼太郎「ケラケラ女!云うことを聞け!!」
(短いけどものすごい鬼畜なこの台詞・・・)

この回を見た時に感じるある種の「違和感」。
そのもどかしさが、冒頭、ネズミ男の街頭遊説から漂うレトロな空気と、そしてケラケラ女を見てようやく氷解しました。
これは、畸形を集めた「見せ物小屋」、そして人体を剥き出して展示する「衛生博覧会」の猥雑な空気かも知れない、と。
平田さんの師・山本福雄氏が原画に参加しているこの回、「秘匿の性」と「笑いの狂気」の幕開けに胸が弾みます。

***「笑い屋」「泣き屋」「打出の小槌」「破裂頭」そして結い髪の和服におはぐろするは「牛女」。
この巨大な「女」を前にして、「笑い屋」と化した鬼太郎を救うべく目玉親父が飛び込んだは息子・鬼太郎の神秘の体内。
無防備に我々の前にさらけだされる、紫色したエロティックな内蔵器官を清楚な平田鬼太郎が有しているかと思うと
それだけで高揚のあまり心張り裂けそうなのに。

「鬼太郎!ケラケラ女の身体の中へ飛び込むんじゃ!ヤツを泣かせばこっちの勝ちじゃ!」

ケラケラ女の口からおはぐろの洗礼を受けて侵入し、どんどん下降した鬼太郎が攻撃目標に定めたその場所は「子宮」。
鬼太郎は、内部から「牛女」を犯し、苦痛か快楽か、昏倒した女の大きく開いた着物の裾を割って再び「誕生」したので
あります。故に、ケラケラ女が倒れた直後、画面は巨大な「花」で埋め尽くされ、まるで「事実」を隠すかの様に美しく
そして不自然な収束を見せるのです。

大女の脚の間からドロリと這い出す平田鬼太郎、そこに見い出す「秘匿の美」。
これこそがこの不健全な見せ物の最大の演目。

その他見所:平田鬼太郎と星郎の愛らし過ぎる2ショットには目も暗んで鼻血を吹いて倒れそうなくらい魅惑的です。困ります。
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鬼畜度/★★☆  狂い度/★★  


■血戦!妖怪吸血軍団(96話)
脚本/武上純希 演出/芹川有吾 作画監督/稲野義信(マニアウケ)

ドラキュラ「どうだ小僧。吸血鬼の力が分かったか。たっぷりと血を吸ってやる」
鬼太郎 「ウウ・・・ッン」
(「小僧」ですか。鬼太郎に向かって「小僧」。紳士ドラキュラの下卑な発言に欲望レベル5)

いなのん先生どうしたことでしょうか。また鬼太郎が針責めです。また鬼太郎がしびれてます。
この回でラストを飾る稲野作画、最後はこれでもかと「鬼太郎ミイラ」を描いてマニア垂涎の
フェティシュフィナーレ。

***「仕組まれたシナリオ」に踊らされた者は誰だったのでしょうか。
オカラガサ島に根を生やす吸血妖怪のボス「妖怪樹」と、妖怪樹に呼び寄せられたドラキュラとの間には
昔も今もなにがしかの「親密な関係」があったに相違なく。そして、「花」を増やし増殖する妖怪樹の属性は
「メス」であり、血液を妖怪樹に注ぎ込むドラキュラの属性は「オス」。
ドラキュラが、「妖怪樹」との関係を断ち切りたいと望んだ時、鬼太郎を軸に事件は展開を見せるのです。

ドラキュラのシナリオ。それは、子供たちを利用して鬼太郎を誘い出し、
鬼太郎を始末したと妖怪樹に思わせつつ、鬼太郎が脱出出来る方法で生かしておく。
その間、自分は恐山に行くと告げて島を離れ、鬼太郎に妖怪樹を始末させる・・・・・。
しかしその計画には誤算が生じました。妖怪樹の独断で、鬼太郎は助かったものの「ミイラ」となって
しまっていたのです。彼は更に計画を加えます。鬼太郎のミイラを「スーパー血液」の側に置くことで、
偶然を装い鬼太郎を復活させようと。
結果、目的は果たされ、ドラキュラは「同族殺し」の罪を鬼太郎に与えてすみやかにその場を離れました。
「負けるが勝ち」であります。

 しかし、未だ違和感が残ります。
その違和感は、ドラキュラよりも的確に「事態」を調和させた人物が存在するためであるのです。
それは、鬼太郎を島に招き、ドラキュラの前にあえて姿を見せ、妖怪樹に「予定外」の行動を取らせ。
そして、島の災厄である妖怪樹を、自分たちの島を脅かす存在を、絶滅に導いた人物。

「いいや。ボクは信じるよ。
キミたちの様な心の優しい子がいる限り、この美しい島はもう妖怪樹に支配されることはない。」
手を取って熱く語る鬼太郎を、したたかな目で見上げていた子供達。
確かに彼等がいる限り、この美しい島は安泰である。「信頼」万歳。

その他見所:海岸で吸血綿に襲われる稲野鬼太郎の切な気な表情と、吸血綿のどう見てもいやらし過ぎる動きっぷりは
何のプレイなんでしょうか。ついでにドラキュラと鬼太郎が地面で乱れて揉み合うカットに1枚、どう見ても18禁画像の様なモノが・・・。
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鬼畜度/☆    狂い度/★★  


■夫婦妖怪!?皿数え(97話)
脚本/星山博之 演出/石田昌久 作画監督/松本朋之(イケメン御三家/しょうゆ顔)

鬼太郎「皿数え!術を解け!さもないと大入道の命はないぞ!
(これはいわゆるひとつの完全なる脅迫でしょうか。しかも本気で殺す心構えアリかと。しかも病人相手に。)

天童家の夕餉は午後6時35分。
という余計な情報を与えてくれるこだわりの遊び人・松本さんの勢いはここからが本番です。
これでもかと2回に1回、3回に1回のヤケクソ的な作画監督回数。しかも高レベル。
同時にテレマガカットも描いてます。当時の「スタジオ座円洞」内での松本さんは、
(1)笑っていた (2) 泣いていた (3) 狂っていた のいずれかだと思われます。
(どの選択肢もある意味真実かと思いつつ (3)をイチオシ。選択肢に (4) 呪っていたも加えたい気もしつつ。)

***シーサーが鬼太郎からの「自立」を決意した1日密着ドキュメント。
「義兄弟」の痴話もめに、巻き込まれたのは皿数えと大入道の方かも知れません。そして仕掛け人はネズミ男。
事件の発端を鬼太郎に知らせてのちのネズミ男の、「場」に最後まで居ながらにしての無関係然とした態度が一変するのは
シーサーが絡んだ時のみでした。彼は最初から、シーサーに「鬼太郎から自立するな」と説き続けていたのです。

「はあ〜。お前が一人立ちをねえ、ムリムリ。」
「頑張るな!頑張らなくていいんだよバカ!」

ネズミ男は、鬼太郎とシーサーの関係に何を見ているのでしょうか。
シーサーの臆面もなく、鬼太郎に甘えて鬼太郎を求める姿に、何を投影しているのでしょうか。

これもひとつの「幸福」の形です。ネズミ男は今回、自分の幸福を懸命に彼なりの方法で守ったのかも知れません。

その他見所:「話すか食べるかどっちかにしろ!!」とネズミ男を叱る鬼太郎があんまり素敵でえ〜・・・エヘエヘヘ。
.
鬼畜度/★★☆  狂い度/★★  


■津波妖怪猛霊はっさん(98話)
脚本/大橋志吉 演出/山寺昭夫 作画監督/高田耕一

目玉親父「祭りとは本来、人間と神様の壮大なパフォーマンスじゃからのう」
(紋切り型ながら、エロティックな台詞ではあります)

清水さんどこ行ったの清水ー!と混乱しつつ、清水氏原画マン・高田くん作画監督デビューの記念すべき回。
不安定で硬い作画は、未発達故の魅力とも云うべき鬼太郎の頭身間違いカットや「濡れ萌え」で挽回したい心意気かと。
更には背景を埋め尽くすパステルカラーとパースの狂いは、非現実感を出すためのあえての選択でしょうか。素敵です。

***天童正夫の血をひく男が暮らす島・その島は呪われた島である。
海は茶褐色のまるで排泄物を思わせる色。空は曇天の禍々しさ。そして荒々しくも虚脱した男達が、
深夜欲望のままに蠢く境内。因習と秘儀に縛られて、休暇に訪れた筈のユメコと星郎までが所在なさ気に息をひそめる島。
脂臭いまでの「男社会」。

自らが「禁忌」を破る贄となり、まるでこの呪われた村を海という母体に帰すことを望んでいるかの様な友彦少年の
寒々しいまでの「喪失感」はどこから来ているのでしょうか。
それは両親を海でなくした「闇」とは更に異質のものであります。
そして、自身が望んでいた筈の「両親との再会」時ですら、彼の虚空が晴れることはなく。
彼の周囲に依然としてたちこめる禍々しい絶望感と寂寥感と、圧倒的な孤独。

 「村」と完全に遮断され、霊が呼び寄せられるという日にユメコと星郎の前に「姿」を見せた友彦は。
恐らく、男たちの体臭がむせかえるこの村ですでに死んだ、さまよえる「死人」である。
と、仮定した瞬間に、全てが氷解した心持ちがしました。閉鎖的な村の、漁村での出来事です。
.
鬼畜度/☆    狂い度/★   


■はきもの妖怪化けぞうり(99話)
脚本/山崎晴哉 演出/芹川有吾 作画監督/松本朋之(イケメン御三家/しょうゆ顔)

鬼太郎「身体が・・・動かないッ。・・あっん!」
化けぞうり「鬼太郎!きさまの妖力も、ちゃんちゃんこの力も、残らず吸い取ってやるわい!
(吸い取り過ぎ。)

最早「普通の生活」がどんなものかすら危うくなりはじるほど「鬼太郎」に埋もれた生活を実践中の松本さん。
ここまで2枚目な鬼太郎を極めると、人間、他をも極めてみたいという欲求が立ち上るものなのでしょうか。
この回、松本さんが極めようとしたのは「オネエ風味ネズミ男」。
ネズミ男にレオタードを着こなしせしめ、優雅(オカマ風味とも云う)な動きでクネクネと舞わせ、
そして恐らく松本さんが勝手にこだわった「魂胆を見せない様に苦心した末のえげつない表情」の表現。

「どうだ!このネズミ男の表情!」
と、もはや訳の分からないレベルに達しつつある松本さんのスタジオ座円洞内での煮詰まり具合が伺える様です。

***この回のポイントは、何はなくとも鬼太郎が受けたワラ縛りというSMスナイパーに投稿したくなる様な
マニア責めと、ムダに鬼太郎が木にしがみついての苦悶のマニアサービス・背後からの妖力吸われであろうかと。
サックサックと吸われ・・。
蛇足ながら、劇場で鬼太郎が両足をどどーんと開いて己の股間を見つめる先には化けぞうり、というシーンは
シチュエーション的に「池袋ロマンポルノ映画館でのよくある風景」を連想したという事は青少年向けではないので
伏せておこうと思います。

松本さんの煮詰まり具合が、少々伝染した模様です。失礼失礼。
.
鬼畜度/★    狂い度/★★  


■鬼巫女の鬼太郎抹殺作戦(100話)
脚本/武上純希 演出/今沢哲男 作画監督/平田かほる(イケメン御三家/色気担当)

ユメコ「妖怪と人間は・・・敵! 死ね!!」
鬼太郎「やめろ・・・・!ユメコちゃん!」

記念すべき100話目!全てに気合いが滲み出る、ドリーミンな傑作のひとつ。この展開は3部ならではの危険な味です。
平田作画の本気具合は影3段にも如実に表れ出る程で、余程「タコ」とか「山天狗」がイヤだったんかあーと
改めて思う反面、不自然な程に陰影のはっきりした平田鬼太郎の肉感美に新たな発見とトキメキを覚えます。

***己の欲望のために「鬼」と化した人間たち
守るべき相手が敵となる、その不条理さと自己存在の揺らぎを、鬼太郎は「鬼道衆」と「八百比丘尼」から、
そして「砦」のユメコ嬢からも突き付けられて遂にはその愛する手で魂を奪われてしまいます。

「千年にわたり鬼道衆に伝承されし、妖怪殺しの奥義じゃ・・・フフフフフ」
そう云って鬼太郎を殺したのは、ユメコです。それは「鬼巫女」ではなく、ユメコ本人の言葉であります。

-----------ユメコにも迷いがある。
鏡を見れば日々変化する胸のふくらみに戸惑う。ママは最近よく「お赤飯」という言葉を口にする。
守ってくれる相手よりわたしはどんどん背が伸びている。きっと、もうじき、あの人の背中の後ろに隠れても、
私の姿は全部はみだしてしまうに違いない。それでもあの人は、私を守ってくれるのかしら?
 いや、違う。そうじゃない。そんな自分のみっともない姿より、自分の心が怖いんだ。
「永遠」の前の「刹那」、私は、ずっとこのままでいたいのに。身体も。心も。------------------

「刹那」を「永遠」に閉じ込めたいという少女の形なき茫とした願望は、八百比丘尼の出現で可能となります。

 八百比丘尼は、妖怪殺しの方法をユメコに授けます。それは、殺した相手の魂を絵馬に封じ込めるものでした。
自分が「変化」する存在故に、この狂おしいまでの恋を成就させることが出来ないのならば。
それならば、それならば、いっそ。

ユメコは恋を自分の手で終わらせる方法を選びます。相手を殺し、封じ込め、自分の側に置く方法を。
それが無理なら、鬼太郎と共に自分も業火に焼かれようと思ったのかも知れません。
恋も、鬼太郎も、そしてそんな自分も抹殺してしまえばいいと。

この一途で激しい炎の様な感情を、鬼太郎は初めて真正面から受け止めました。
そしてその、あまりにも無垢で無知な少年の受け止め方が、ユメコに「変化」する方を選ばせます。

どちらがより残酷な選択だったのかは、分かりません。

その他見所:Bパートのシーサーの手にある、絵馬に封じられた鬼太郎の色っぽさは何ですかーッ!色気担当の平田作画の本気を見たり。
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鬼畜度/★    狂い度/★   


■妖怪捕物帖・猫騒動(101話)[天童家]
脚本/星山博之 演出/明比正行 作画監督/山口泰弘(ムチムチヤマグッチ先生)

鬼太郎 「それより旅の虚無僧は・・・・中に?」
お夢の父「ええ・・ところであなたはどちらさんで?」
(パラレルワールドにおいても出会ってしまった鬼太郎と正夫)

脚本・星山さんの苦悩。
武上くんが美少女マニアの本気を出した記念すべき100話「鬼巫女」の次点はどうしたって辛いよなあ。
こっちも負けじとユメコちゃんを絡ませたいけど「天童家とペット」は既に『妖犬タロー』で大橋くんがやってしまった。
じゃあいいや!江戸時代にしちゃえ!天童家じゃなくて山形屋!ユメコちゃんじゃなくてお夢!オカリナじゃなくて笛!

もはや批評すら受け付けない勢いの星山さんの開き直り具合は、冒頭のナレーション
「しーんと静まり返ったここは江戸の町。という訳で今回のお話は鬼太郎たちが江戸時代に現れて、のお話。」
こんな一文にも表れております。「どんな訳なんですか」と尋ねる方がもはやヤボ、そんなレベルになりつつあるのです。

 そしてこの突如出現した鬼太郎パラレルワールド・星山さんの開き直りに巻き込まれたのがヤマグッチ先生。
目明かしを生業とするネズミ男に、ちょんまげ着物姿の鬼太郎。髪を結い上げた砂かけ婆に、絹問屋の主人の正夫。
まるでコスプレイヤー夢の共演の様なこんなオタな世界を、ヤマグッチ先生は何と原画全て1人で描きあげております。
つまりこの回は、この分析不可能なこの回はつまり、つまりヤマグッチ先生の同人ビデオを見ている様な錯覚を覚える訳で。

着物からチラチラ(時に大いに大胆に)覗く、鬼太郎の白い下履きに肉感的な白い足。
足の描写に情熱を注ぐヤマグッチ先生にとっても、この着物姿の鬼太郎は魅惑的なものだったに違いありません。

というか本当に何で江戸時代だったんですか。趣味ですね。明らかに。

その他見所:やたらめったらネズミ男が己の鼻の穴にモノを突っ込む性癖は江戸時代限定なのでしょうか。突っ込み過ぎ。
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鬼畜度/★    狂い度/★★  


■おてんば魔女・ジニヤー(102話)
脚本/大橋志吉 演出/葛西 治 作画監督/松本朋之(イケメン御三家/しょうゆ顔)

ネズミ男「なーに鬼太郎ちゃんよ、俺が今日からな、おめえをペットとして可愛がってやるからよ」
(ペットとして!ペットとして!?そんな可愛がり方アリですか?あまりにも直球で鼻血ブー。)

松本さんの正真正銘の本気。いくら2回に1回描いていてもこれだけは譲れねえッとばかりのその気合いぶり。
ここまで来るともはや松本さんのと云うよりは、スタジオ座円洞の意地、でしょうか。チームワーク完璧です。
Aパートのジニヤーのセーラー服でのバトルに、Bパートの鬼太郎と不良グループのバトルに、文句なしで目が釘付け。
鬼太郎が美女と肉弾戦、かすかに匂う学園モノ。私はミーハーにもこんな話が見たかったのです。大好きな回です。

***アラビアからやってきた可愛い転校生は魔女。
こんな素敵な設定とは裏腹に、かなり救いがたい社会の病巣とその顛末が、この回ではさりげなく描かれています。
ジニヤーに従う4人の不良男子学生。このおぞましい4人の、男。
彼等がジニヤーに従う様になった経緯も、そもそもは彼女を暴行しようと企んでの手痛い失敗故です。
しかもその手段は、1人の丸腰の女子学生相手に、金属バットに拳に凶器を仕込んでの集団リンチという方法でした。

 このおぞましい男たちの、理由なき暴力と破壊行動は、
「女・子供」という図式化された弱者に向けられる傾向が見えます。

恐山の妖怪病院を襲撃した男たちが、その入院患者たる妖怪たちに対して暴力を振るうことはありませんでした。しかし。
一見「小さな子供」にしか見えない鬼太郎が男たちの前に姿を見せるやいなや、再び彼等はジニヤーに対して行った時と
同様におぞましい牙を向いたのです。残虐な笑顔で。
恐れ逃げまどう「子供」鬼太郎に向かって笑いながらチェーンを振るい、木刀を振り降ろす。
4人がかりで。躊躇すらなく。

彼等はもはや人間ではない。
「魔」はジニヤーでも魔人でも魔王でもなく、かつては人間だった4人の男たち。
魔人によって「動物」へと変えられてしまったこの男たちは、魔王と鬼太郎との和解・大団円にすら既に姿を
見せることはなく。恐らくはもう、彼等が「人間」に戻る日は来ないに違いありません。

その他見所:「砂かけ婆!ありがとう!」の松本鬼太郎のカッコ良さはなんちゅーかもう・・ホレルー!
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鬼畜度/★☆   狂い度/★★  


■純愛ヌリカベとおしろい娘(103話)
脚本/武上純希 演出/葛西 治 作画監督/新岡浩美(キングオブ★鬼畜)

白粉婆「しろこそめ と申します。今日は鬼太郎様に御相談があって参りました。」
鬼太郎「は、はあ・・・(赤面)」
(そんな所以でこの回は別名「しろこそめ」と呼ばれているのです。)

「鬼畜鬼太郎」として伝説になりつつあるこの回、遂に作画的下克上が行われました。強烈です。
妖気アンテナ伸び過ぎです。やる!鬼畜はこの私が!と新岡さんが入好さんの胸ぐらを掴んだのか、
それとも入好さんの優しき思いあってのことか、漫画家「寿限無」の匂いを濃厚に感じさせる本作は、
3部世界の中でも特異さが際立つスペクタクルな様相を見せます。女に翻弄される男の哀しさが
作画の荒々しさからも随所に滲み出る、これは、強い女たちと滑稽な男たちの冬の寓話です。

***頭身が伸びて荒々しいまでの男臭さを醸し出す新岡鬼太郎。
しかしその男臭さに負けず劣らずの、この回の目玉親父の秘かなる「男っぷり」にも着目して頂きたいのです。
白粉婆が扮した和服の美女・しろこそめを見た瞬間からの目玉親父の行動の異常さには、
当時から首を傾げる部分がありました。
・茶碗風呂から出てすぐに股間を白い布で覆い隠し、頬を赤らめつつ鬼太郎に指示を出す。
・雪山において、汗まみれにも関わらず手袋で全身をすっぽり覆ってその肢体を人目から隠す。
実はこの回、一度も通常の目玉親父の「姿」を描いた作画を見ることが出来ないのです。
ことさらに体部分を隠している。何故か。
 近年になってようやくその謎が解けました。こんな如実かつダイレクトな答えが得られるとは驚きでした。

ここに一枚の資料があります。『ゲゲゲの鬼太郎超ひみつ大図鑑
(テレマガカラースペシャル39・昭和62年発行)』7pです。

出したりひっこめたりが、自由にできる

イラストを見れば一目瞭然です。
ナニが、何が出したりひっこめたり出来るのかが。
勢い余った目玉親父が身体を隠した手袋は、手足4本残り1本、5本の指分を全て活用出来たに相違なく・・・。
ここにも滑稽な一人の男の姿を見ることが出来るのです。
平静であろうとして汗まみれになっている、現役な哀しい男の姿が。

-----この回、鬼畜新岡鬼太郎とヌリカベの本気対決に見る屈折感情だの、
紅子とヌリカベに見る本能的危険回避行動だの、「シフンセンコ」にかける武上さんのオタなこだわりだのと
記したいことが沢山あったのに、結局着地したポイントが
股間になってしまいました。
こんなことはよくあります。冒頭で記した「スペクタクルな様相」がどこへ行ったのかは不明です。

その他見所:「・・母さん!」と思わずつられ泣く鬼太郎に萌えろ!
       そして長靴を履いた臭いーとにかく男臭い新岡鬼太郎と、「覚醒」した紅子の本気パワーに打ちのめされてしまえ。スゴすぎ。
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鬼畜度/★★★  狂い度/★★  


■謎の妖怪狩りツアー(104話)[ぬらりひょん]
脚本/星山博之 演出/芹川有吾 作画監督/松本朋之(イケメン御三家/しょうゆ顔)

鬼太郎「山里の温泉につかりながら妖怪狩りを心ゆくまで楽しみませんか。
妖怪を相手に本格的な戦争ごっこが出来ます。
さあ、あなたの腕で何人の妖怪をしとめることが出来るかチャレンジしよう。」

あれ?昨日「ジニヤー」仕上げたはずなんだけどまた鬼太郎?まーいいや〜もー何だって描くさ〜
とばかりに慣れた調子でさくさく作画をこなす松本さんですが、この回、大きな落とし穴がありました。
あれだけの数をこなしながら、何とぬらりひょん先生をテレビで描くのは今回が初めてだったのです。
やべっキャラ表が無い・・からこんな感じで、
と仕上げられたぬら様のお顔が、実はちょっと大変なことになっていたのは秘密です。

***本当は誰が誰を狩りたかったのか。

「鬼太郎が遅れて旅館に行くというのは間違いないんだろうな。」
「へえ。何でも鬼太郎は、今週の土曜日に。」

朱の盤がぬらりひょんに伝えたこの情報は、一体誰からもたらされたものなのでしょうか。また、回の冒頭、
夜の墓場に鬼太郎たちが集まっての相談を、何故朱の盤は聞き耳を立てることが出来たのでしょうか。
誰かが、事前に告げたのです。全ての情報を知っていた誰かが。

「本当にすみません鬼太郎さん。」
はりついた笑顔で鬼太郎に礼を云う優子。鬼太郎さんに任せれば大丈夫よね、ママ、と無邪気に笑う
ユメコの横で笑顔を絶やさない母。
----娘を、息子を、そして夫をも夢中にさせてしまうこの大人びた少年-----勿論、感謝はしている。
可愛いとも思う。でも。

ほんの少しだけ、罠をはってみる。それがどう展開してどう収束するのかは、罠をはった本人にも分からない。
それでもあの大人びた少年を、少し困らせることは出来るかも知れない。
予想外に大変な事になるのか 何も起こらないのか。
それすらも本当はどうでもいい。そんなやり方しか、自分には出来ないけれども。

優子は鬼太郎のことが嫌いな訳ではない。憎い訳でもない。それが一層、業の深さを思わせます。
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鬼畜度/★   狂い度/★☆  


■妖怪めんこ天狗(105話)
脚本/星山博之 演出/白土 武 作画監督/高田耕一

ネコ娘「あの娘(ユメコ)のことになると、いつもより張り切るんだから・・」
鬼太郎「ネズミ男かい?」
ネコ娘「ほかに、もう一人!」(鬼太郎を睨み付ける)

***「バ・・バカにしたな!『めんこ』をバカに!!!」

 純粋なフェティッシュ--------「対象物」を狂気的なまでに愛した男が招いた悲喜劇模様です。
めんこ天狗を「愛ゆえの暴走」に走らせたきっかけは、自身に対する侮辱でも罵詈雑言でもなく、
ほんの些細なめんこへの軽口でした。

「ンなダッサいもの出来るかよ!」
「だめだめ!(めんこなんかで)遊んでるヒマなんてなーいのよ」
「レトロブームなんじゃない?」

愛らしい星郎の口から繰り出された数々の「無知で無邪気な軽口」は、めんこ天狗にとっては
死にも値する「必毒」であったというこの、「対象物」に対する恐ろしいまでの温度差。
そして「愛」すらも凶器に変え、「どうだ!面白いだろうが!ハハハ!」と愛の共有を強いる
異常性愛者と対峙した時、傍観者・当事者共に果たして解決の糸口は探せるのか。
そんな一例を見ることの出来る、ちょっと困った回です。

〜行き過ぎた愛は、愛の「対象物」を遂には「主体」へと変化させる。
つまり、めんこを愛しためんこ天狗は自らも『めんこ』となる。そこまでの煮詰まった愛を、
鬼太郎は徹底的な暴力と無神経さを武器に、彼の愛する「主体」となって木っ端微塵に粉砕する〜

鬼太郎の絶対的な「無理解」に接しためんこ天狗は、そこでようやく「対象物」の愛し方への
新たな切り口を見い出す術を学びます。星郎たちがなぐさみものの様に「愛する『めんこ』」を
弄んでいたとしても、彼はもう激怒したりはしないのです。
" 諦念プシガンガ ただ甘んじて許す " 
そして自身の「純化」への邁進-----これが彼の選ばされた解決方法だったのですから。

「すぐ飽きちゃうんじゃねえの。」
めんこで遊ぶ星郎たちを見ながら呟くネズミ男。
「それでもいいじゃないか。」
落ち着いて答える目玉親父。

それでもいいじゃないか、
そこに辿り着いてしまった男の背中を映して、場面は静かに静かに、収束していくのです。

その他見所:めんこ天狗の目を盗んで、星郎たんが鬼太郎めんこをしまった場所はやっぱり「ズボンの中」ですか?フ、フハ!!鬼太郎たんが!!
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鬼畜度/★☆   狂い度/☆  


■とうふ小僧と山神(106話)
脚本/大橋志吉 演出/芝田浩樹 作画監督/松本朋之(イケメン御三家/しょうゆ顔)

シーサー「うわあーよっぽど不潔にしてたんですねえ〜」
鬼太郎 「それにしても、見事なカビだ!」
(全身カビ姿の全裸ネズミ男を見下ろしての冷めた仲間たちの台詞)

やったあ!俺の鬼太郎作画もこれでファイナル!よく描いた・・・よく描いたよなあ俺・・・よおし♪最後だあ!
とばかりに作画をてがけた松本さんですが、実はこの後の「『地獄編』プロジェクトin武上ドリー夢」に初回から
バッチシエントリーされていたとはまだこの段階では知る由もなく。「最後だ最後だ!」と同じくハジけた
演出/芝田さんと競合し、笑える程のクオリティの高い作画を見せてくれたのでした。ていうかノリノリです。
妙な高揚感に包まれていた「座円洞」のハイテンションぶりが伺える程です。

***やたらと楽しそうなハイテンションに呑まれて忘れてしまいそうですが、この回はねちっこく、どこまでもカビです。
「ええ!?ネズミ男が、カビだらけに?」
と、顔面に米粒を大量につけて無意味にカッコ良く振り向いた鬼太郎のこの台詞を皮切りに、カビの猛威は
とどまるところを知らず鬼太郎 目玉親父 シーサー 一反もめん ネコ娘 砂かけ婆 そして子泣き爺の頭皮に至るまで
(遂にはネズミ男の妄想上でユメコまで)カビの猛威に全身をくまなく犯されるというこの腐臭の夥しさ。
「腐」の感染力の驚異をまざまざと見せつけられ、しばし黙してしまうほどです。

そして同じくこの回は、ねちっこくどこまでもです。
生命力の感じられないとうふ小僧の身体の中で、唯一存在感をはなっていた伸縮自在に伸び縮みする、
ぬらぬらと躍動する生きた「舌」。
その舌に身体をからめとられて、あからさまな嫌悪感情を全身で示す松本鬼太郎は勿論必見なのですが。

--------「しかしこんな沢山のカビはワシ一人では舐めきれんぞ。それにネズミ男なんか、死んでも舐めたくない!」
これまた「舌」を生業とする助っ人の「天井舐め」。
彼の台詞を聞いた瞬間に、じつは発端となった「腐」の感染力をじっとりと残念に思いました。

Bパート冒頭、天井舐めはその舌で、羞恥に見悶える一反もめんの全身をくまなく舐めてカビを落としていたのです。
つまり もしカビに感染したのが鬼太郎だけだったなら、天井舐めは一反もめんと同じ方法で彼のカビを落としたに違いなく・・・・。

「舌」に隠されたもうひとつのドラマティック。
底抜けの明るさとは裏腹に、粘菌の様にまとわりつくすえた匂いが香ばしい、魅惑の怪品です。

その他見所:ついでにフェチプレイもてんこ盛り。その筋の(どの筋だ)マニア大喜びの豆腐顔面攻撃・・・
豆腐全身拘束・・どこまでも豆腐・・・腐・・・・
.
鬼畜度/★★  狂い度/★★☆  


■ケムリ妖怪えんらえんら(107話)
脚本/武上純希 演出/岡崎 稔 作画監督/宮澤康紀

砂かけ婆「生まれた時から婆さんで ”ホれたハれた”はひとごとばかりじゃった!!」
(これは悲しいぞ!かなり!!砂かけエエェェェ・・)

作監が平田かほるさんから原画マンの宮澤くんに引き継がれた回です。
清楚な平田鬼太郎よりは少年ぽく、そして無表情+aといった風情です。
この回では、Aパートラストのコールタールでベチャになったちゃんちゃんこを拾って途方にくれる
鬼太郎のカットが昔から好きなのです。理由は恐らく山本福雄さん→平田かほるさん→宮澤くんと
「動じない鬼太郎」系列作画の中では珍しく、露骨に嫌悪の表情が出たからかも知れません。

***「いつも残るのはワシら妖怪じゃ。人間はただ通り過ぎる旅人・・・」
   「一生に・・・一度くらい惚れたオナゴのために命をかけてみたかったんじゃ・・・!」

子泣き爺の無常感とその終息願望に、彼の孤独で深い闇を覗いてしまったような心持ちがして
思わずその孤独に引き込まれそうになる訳ですが。

しかしその直後に。
おじじとおばばのベルサイユも真っ青な薔薇の飛び散るギリシア神殿DE愛の告白☆ があったことを思い出し。
更に少し遡れば、ゲゲゲハウス内で目玉親父が唐突に煙草を吸っていたことも思い出し
もう少し遡れば「あらーアハハ☆いただきマース♪」と、ネズミ男がネコ娘のパンティを盗んでいたことをも思い出し
そういえば何だかわからないうちに冒頭からシーサーとネコ娘とユメコちゃんが銭湯で身体の洗いっこをしていたよなあ
と混乱してきたところで

脚本がたーけがーみさんだったー!そうか!と納得すると同時に、
「子泣きの闇」に一瞬でもシンクロしかけた自分を殴りたくなってくるのでした。

その他見所:ラストシーンのおじじとおばばの穏やかで、しかし生々しいふらちな香りに「隠された何か」を感じ取って
当時ムズムズした子供は多いですよねきっと 私を筆頭に。
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鬼畜度/☆   狂い度/★★☆  


■鬼太郎ファミリーは永遠に(108話)本編最終話 [ぬらりひょん]
脚本/星山博之 演出/葛西 治 作画監督/新岡浩美(キングオブ★鬼畜)

ぬらりひょん「鬼太郎!親父を助けたかったらここまで来るんだ!」
鬼太郎   「その声はぬらりひょん!お前が父さんを!!」
ぬらりひょん「どうした 親父が殺されてもいいのか?」
鬼太郎   「・・・なぜこんなマネを!!」

これでどうだと云わんばかりの、荒々しく猛り狂った鬼太郎を堂々と最終回で描いてくれました。
キングオブ★鬼畜。もれなく流血。目玉親父だってボコボコです。あのBパートの目玉親父の内出血&眼球陥没カットは、
入好さんが泣く泣く描いた原画を更に作監修正入れてあの様な凄まじい仕上がりになりました。指さして断言。
.

***確固たる意志をもって、堕ちる。「鬼太郎」という聖域を守るために、自分は悦んで汚濁へと浸かる。
そして「鬼太郎が憎い」と繰り返し憎まれ口を叩くことで愛の睦言を露呈させてしまうこの屈折した翁ぬらりひょんの、
これはひとつの純粋に穢れた感情の昇華方法です。
数多くの妖怪を鬼太郎にけしかけて尚、彼は必ず鬼太郎が自分の待つ屋敷に来ると信じて、健気にも醜く待つのです。

激しい憎しみを。
自分と同じ醜い感情だけでも、せめて鬼太郎と共有したい。
その甘ったれた正義面を自分への憎しみの感情で一杯にして歪ませてやりたい
それは、「憎悪」の連鎖でしか関係を築くことが出来なかった哀しいまでに純粋な、崇高なる狂気の果ての姿です。
一体これほどまでに、鬼太郎のことを常に想い続けた人が他にいたでしょうか。
それは最早、常人が語る生半可な「愛」などよりも余程強く、激しく辛く痛々しい。
何故なら彼は、感情の解放も明るい世界も何もかもを捨てて「鬼太郎」を世界の中心に据え続けてきたのですから。

「もう一度出直しだ!」
ぬらりひょんはそして前向きに、鬼太郎との憎悪の絆・憎しみの呪縛を断つことなく彼なりの方法で崩壊的関係を
構築していきます。それが血の出る様な、彼なりの醜くも純粋な「幸福」の形であり続ける限り。永遠に。
.

そしてたとえそんな純粋的憎悪感情が、「正しき人・鬼太郎」には全く届かないのだとしても
.
鬼畜度/★★★  狂い度/★☆  


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