■謎の妖怪城出現!!(1話)
脚本/星山博之 演出/葛西治 作画監督/清山滋崇(影3段の男・体臭の作画)

たんたん坊「ねずみ男、もっと幼くてピチピチした子供をさらってこい。」
(なんですかこの危険すぎる言い方は)

ここから全てが始まりました。
1985年10月12日のこの日、TVガイドで鬼太郎スタートの報を知り数週間前からその放映を楽しみに待っていた
学童は、その日初めて「鬼太郎」と出会い、そして刺激され、ぼんやりと何かに目覚めてしまいました。

それから「鬼太郎」が放映終了するまでの3年余りはほとんど気が狂っていたかの様な鬼太郎一色の学童生活と
なり、毎日ひとりで鬼太郎を見たり模写したり妄想したりとそれは楽しいキチガイ的生活を過ごしておりました。
どうしたら鬼太郎に会えるかと真剣に考えたり、ゲゲゲの森を安住の地と定めて家出計画を立てたのもこの頃です。
幸せでした・・・・・

などといきなりキモチ悪いカミングアウトをしておりますが、この回でのポイントは何といっても私の「目覚め」の
きっかけとなった対・二口女戦です。Aパート最後のたんたん坊に追い詰められる鬼太郎のアップで既に「何か」が
発動しかけていた淡い性徴期まっさかりの学童は、Bパートで二口女の髪蛇にからめとられ喰われそうになる鬼太郎を
見た瞬間に目覚めました。ムダに胸を張って云います。こ・こ・で!目覚めました!!

美しい和服の美女が後ろを向けばヨダレまみれの醜い口。なんという真理。なんというエログロ。正に「表」と「裏」。
表だけの人間も裏だけの人間もいない。その双方を内在しているところにこそ面白さがあるのです。
鬼太郎を本気で応援しつつ、その一方で鬼太郎が苦しめば苦しむ程愛おしい。その感情のどちらにも嘘偽りはないという
そこまで変態の思考を伸ばすことが出来たのは、目覚めたばかりの獣の様な学童にはもう少し先の話でしたが。

鬼畜度/☆   狂い度/☆


■鏡じじい(2話)
脚本/武上純希 演出/芝田浩樹 作画監督/音無竜之介(原画/入好さとる他)

正夫「フーン・・・鬼太郎ってホントにいたのか。」
(前のめりで扉の隙間から汗をたらしつつ鬼太郎を覗く天童家の主人です)

魅惑の天童家初登場の回です。天童家といえば正夫、といいたいところですが、やはりヒロイン・ユメコちゃんです。
ところでこの「ユメコちゃん」という存在は、非常に面白いある種の人間心理を発動させるスイッチを持っています。
それはユメコの母・優子と目玉親父の会話からも伺い知ることができるのです。

目玉親父「これは美少女だけを鏡に取り込む鏡じじいという妖怪の仕業じゃ!」
優子「ええ?鏡じじいといえば、私の田舎では女の子を見守ってくれる優しい妖怪として言い伝えられていますが・・」

冒頭、トイレの鏡で遊んでいるユメコ嬢を見ても分かる通り、可愛い子は自分の姿を鏡で見るのが大好きです。
鏡が大好きな美少女と、美少女が大好きな鏡じじい。
つまり優子が鏡じじいを評して云う「やさしい妖怪」とは、彼の大好きな「美少女」に限ってのやさしさなのです。

そしてこの様な現象はなにも鏡じじいに限ったことではなく、むしろ人間社会においての方が顕著なものです。
ユメコちゃんの様に可愛くて頭が良くて・・つまり「持つ者」は、自然と「持たざる者」の反感を買います。

これがスイッチです。

「持つ者」はその魅力から周りからも優しくされ、故に優しくなり、かつ自らその魅力を把握した上でしたたかにも
ワガママにもなり、また、それが許される存在でもあるのです。

しかし反面、そんな「持つ者」にいつも煮え湯を飲まされてきた多くの「持たざる者」がその影には存在しています。
「どうしてあの子ばっかり」「自分だって頑張ってるのに」「ちょっと○○だからって調子にのって」
そう。そこには、「ユメコちゃん」になりたくてもなれなかった者たちの怨嗟と嫉妬と憎悪が渦巻いていたのです。

努力を忘れ誹謗や中傷しかすることが出来なくなった「持たざる者」ほど哀れで醜いものはありません。
一介のアニメキャラでしかない「ユメコちゃん」への一部のヒステリーめいた必死過ぎる存在否定には、そんな哀しい
感情の介在を感じます。理性ではなく感情。これが「持たざる者」のための格好のスケープゴート「ユメコちゃん」が
持つスイッチの面白いところであり、興味深いところでもあります。

そしてまた思うのです。放映当時の「持たざる者」たちは、その後、「持つ者」になれたのでしょうか。
何を認め、何を手にすれば「持つ者」になれたのかということに、気がつくことが出来たのでしょうか。

鬼畜度/☆   狂い度/★★  


■ネコ仙人(3話)
脚本/武上純希 演出/棚沢 隆 作画監督/石黒 育

若杉先生「(ねずみ男を示して)天童さん、どういうお知り合いの方?」
ユメコ「そんな。全然知らない人です。

作画にキャラデザ/兼森さんの総作監修正が加えられたのは、初期の複数話に見られる醍醐味のひとつです。
中期〜後期以降、各々のスタジオで80年代パワーカッ飛ばして作られたそれぞれに魅力ある鬼太郎像とは別に、
この回の様に兼森テイストを随所に感じさせる初期の鬼太郎も初々しくて良いですね。口元がゆるみますよ。

そしてこの回から「ボクのマドンナユメコちゅわ〜ん!」と公言して憚らないねずみ男は、3期において
「ロリコン」の様な印象を持たれてしまいましたが、あれは単に守備範囲が広いだけの話ではないかと思います。
3期だけでも様々な女性(と半魚人)に頬赤らめてきた彼ですから、「ロリもいけるぞ。俺。」ということで
この人にはケツの穴の広さを遺憾なく発揮してどこまでも突っ走っていって欲しいものです。

ところでケツの穴といえば。
ネコ仙人の大事な玉を飲み込んで腹に隠したねずみ男が、一体それをどこから排出したのかが非常に気になる
ところですが、話中何度も「腹が痛い」を連発して「腹下し」の前兆を見せているところからひとつの暗示的なものを
受け取ることが出来る訳で。そうするとAパートにおいて地中から出て来た鬼太郎の手が、ねずみ男に触れた箇所が
どこだったのかという点までもが暗示的ですらあり、改めて彼のケツの穴の広さに感服する次第なのであります。

ネコ仙人が連発する「大事な玉」は、足の間にブラつくそれとは異なりそれほどまでに巨大なものでしたから!

鬼畜度/★   狂い度/★   


■妖怪ぬらりひょん(4話[ぬらりひょん]
脚本/大橋志吉 演出/今沢哲男 作画監督/山本福雄(原画/平田かほる他)

ぬらりひょん「あいつは単純だから好んで正義の味方であろうとする。」

宿敵ぬらりひょん初登場の回はバブルです!80年代ですよ父さん!懐かしさで思わず目頭が熱くなります。
バブルの象徴「お立ち台」を持つ「マハラジャ」が登場したのとちょうど同時期、そんなイケイケゴーゴーな
ディスコ(注:80年代当時)を冒頭に持ってきつつ、妖怪としての「ぬらりひょん」の存在ベースをきちんと
押さえた「こんばんは・・」という彼の登場の仕方には、「基本は押さえてハジける」3期の姿勢を感じさせます。
静の演出・今沢氏と作監・山本氏。それから総作監の本気を見ました。この回は見事過ぎます。隙がありません。

***

初回のみ声優:千葉耕一氏でお送りするぬらりひょん、彼の繰り出す数々の台詞から浮かび上がってくるのは
「人(妖怪)はみかけによらない」という事実です。見た目に騙されてはいけませんよ。例えばこんな台詞。

「奴(鬼太郎)はぬらりひょん代々の仇でな。奴には痛い目にあってる・・。」
「御先祖様の仇は討った!」

・・・ぬらりひょん代々!?御先祖様!?
すると何ですか。ぬらりひょんは鬼太郎よりも若いってことですか。ま。まさかピッチピチの若者ですか。
永遠の子「鬼太郎」という少年の持つ不気味さをまざまざと見せつけられた一方で、しかし後に原始時代から
平然と帰還するぬらりひょんを見れば、妖怪に「時間」の概念などは無意味なものか、とも思う訳ですが。

それにしても古代の石臼を前にしての鬼太郎とぬらりひょんの和気あいあいとした笑顔溢れる楽しい一時には
魂胆が分かっている筈のこちらまで思わず油断して笑顔になってしまいそうです。が。
これも見た目に騙されてはいけませんよ。人が笑う時。それは、やましい時や隠し事をしている時です。

笑顔の人には気をつけなさい。そうでないと、気の毒なぬらりひょんの様に手痛い目に合ってしまいますよ。

その他みどころ:「あっ。まだねずみ男が埋まってるんですけど。」「まあそんなの後でもいいじゃない。」という
鬼太郎とぬらりひょんののほほんクールな原作調のやりとりが好きです。

鬼畜度/★☆  狂い度/☆   


■ダイヤ妖怪輪入道(5話)
脚本/並木 敏 演出/葛西治 作画監督/山口泰弘(ムチムチヤマグッチ先生)

輪入道「奴ら(人間)は欲深いからダイヤのひとつやふたつ転がしてやれば目の色変えて集まってくる。」

冒頭ダイヤを見つめる醜悪なババア達のカットからはじまりユメコ嬢が言うところの「人間の浅ましさ」を
これでもかと見せつけてくれたこの回は、元気ハツラツムチムチヤマグッチ先生作画とはある意味対照的な
非常に後ろ暗い、不道徳的で危険な匂いに満ちていてワクワクしちゃいますね。

閉鎖された暗い廃坑の中で何年にも渡って蓄積された人間達の「ギラギラした欲望パワー」故でしょうか。
とにかく登場人物たちがどれも素晴らしい醜悪ぶりで、放映当時の腐れ学童のこの私ですらさすがに呆れて
ユメコちゃんよろしく「人間って、浅ましいわね…」などと自分だけ綺麗なフリをして呟いていたものですが。

しかし今現在見てみると、どうですかこの堂々たる浅ましさっぷり。特に横田社長なんかもう最高ですね。
あんな怒り狂ったオヤジの顔面(輪入道)が地面をゴロゴロ転がったり上空を飛び回ったりしてる恐怖の廃坑で
人間の死体(ダイヤ)集めに燃ゆる横田、ちょっと凄いですよ。私には真似出来ません。あんなオヤジの顔面が
燃えながらうるさくゴロゴロ転がっている場所は嫌です。そう考えると横田社長にナニヤラ尊敬と憧れの念がうっすら
浮かんできませんか?きませんね。

そんな訳でこの素晴らしい人間醜悪讃歌、アングラな廃坑で繰り広げられる汚い大人たちの剥き出しの欲望!
その淫縻な空間に投げ込まれたユメコちゃんとヤマグッチ鬼太郎の運命や!?を大いに汚い大人視点で楽しみましょう。
ののしりあえ!いがみあえ!もっともっと露呈して見せろ!私はそんな彼等が大好きです。

その他みどころ:輪入道はその後、映画「激突!異次元妖怪の大反乱」や78話「マンモスフラワーと山男」以降の妖怪戦車の車輪としての
新しい人生を歩み始めます。しかも増殖して今度は6匹になってます。あんなオヤジの顔面が6匹もゴロゴロ転が(以下略)な車は嫌だなあ。

鬼畜度/☆   狂い度/☆   


■地獄行!幽霊電車!!(6話)
脚本/星山博之 演出/石田昌久 作画監督/柳瀬譲二

鬼太郎「今にみてろよ。」

場末 ガード下 路地裏 赤提灯!!そして理由なき暴力!おお!なんということだ。
実は放映当時から「なんだかなあ」と思っていたこの回ですが、今見ると私の好きなものまみれじゃないですか。
「嫌よ嫌よも好きのうち。」ってやつでしょうか。オヤジくさいですか。もう身も心も立派なエロオヤジですよ。

「なんだかなあ」の主な要因は、最後の「何か御用ですかあ?」以降の最大の見せ場のまさかの失速に子供ながら
醒めてしまったというのが大きく、転じればそれだけこの回を期待して当時はワクワクしながら見ていたのです。
そしてそのワクワク感というのは、突き詰めると場末のガード下で理不尽に人間から暴行を受ける鬼太郎の図、これだ!
と、久しぶりに見直した瞬間に合点し膝を打った次第なのであります。

下卑た哄笑と汚物の匂いと暴力が支配する「ガード下」は大人たちの象徴であり、そこに紛れ込んだ「子供」鬼太郎は
このガキ、と、泥酔した大人たちの格好の餌食となり、辱めを受けます。醜い。醜い大人の世界。しかし、同時にどこか
甘酸っぱくも懐かしい。それは廃工場の片隅で見つけたカピカピのビニ本をドキドキしながら盗み見るような、嫌悪しつつ
も覗いてしまう「隠された大人の世界」の一端であったような。危険だけれども温かい「闇」が、確かに当時はしっかりと
息づいていたのです。無秩序の中の秩序。ガード下は、大人たちの暗黙のルールに支配された神聖な場所だったのです。
そこで罰せられるべきは本来、場違いな場所に紛れ込んだ「子供」鬼太郎の方であり、大人たちではありません。
ガード下で暴力をふるった黒川と吉永はだから、ガード下における秩序をなんら乱したりはしていなかったのです。

ただ相手が「子供」ではなく「鬼太郎」だった。そこが彼等の不運だったのでしょう。

鬼畜度/★★  狂い度/☆   


■子連れ妖怪磯女(7話)
脚本/武上純希 演出/芝田浩樹 作画監督/兼森義則(原画/稲野義信)

ねずみ男「おとろしーっ! きき鬼太郎がああいう目をしている時は近付かない方が身の為だ!」
(空気読んでます。もう少しでねずみ男のケツが「ネコ仙人」の回に続いて再びピンチでした。)

そういえば「鬼太郎」には、漁師など「海」で生計を立てている家族や場所が登場することがおおいですが、
キャラデザ@兼森さん作監担当回が全て濃厚な漁師町が舞台というのは何か因縁でもあるのでしょうか。
しかも非常に磯臭い。「磯女」も「さざえ鬼」も映画「妖怪大戦争」も、漁師の生活臭がやけにリアルです。
おかげで兼森さんといえば、私の中では既に立派な磯の香り漂う逞しい「海の男」です。ものすごく間違ってます。

貧乏が!貧困が!プロレタリアートたちの悲痛な叫びとは裏腹に、生き生きと立ち回る悪役たちのコミカルな動きには
思わず目を奪われてしまいます。稲野&兼森コンビののびやかで流麗な線と動き!この回の主役は正に悪役たちですね。
ちなみにこの悪役たちを「熊野詣で」「ニライカナイ」「翁童論」などとからめて解説していた5年程前のテキストを
見つけてしまい、しばらく大笑いした後、晒すことにしました。以下がその当時のテキストです。若くて懐かしいなあ。

ワルタ社長に用心棒、海野村村長の3人は、磯女や漁師家族から美しい海を奪い取る「外界からの侵入者」である。
「招かれざる客」の3人は、船頭扮する鬼太郎の船に乗り込み、海へと出る。

母なる海への旅路、それは「あの世」と繋がる境界への旅路。
3人は、彼岸との渡し役でもある鬼太郎の策略で、体内における境界門「肛門」を失う事となる。
その意味するところとは。

3人は「あの世」との繋がりを断たれてしまったのだ。
彼等は、彼岸の安息を得ることも出来ず、出口を失った糞尿のごとく熾烈な現世を堂々回りするしか道がないのである。
まさに立ち往生。

「あとでボクが(肛門を)返しておきますよ。」
あっさりと父に告げる鬼太郎。彼等の安息は、鬼太郎のさじ加減で決まる。

何だかもう、当時の自分のかたくなに己の理想を追い求める必死さのひとつの通過点を見つけてクラクラきましたが
まあつまりアレですよ。きっと要約するとこの回の最大のポイントは
悪役3人にあとで肛門を返しに行く鬼太郎だ
ということを云いたかったんじゃないでしょうか。というかこのラフ画を描きたかっただけかも知れないですね。
この4年程前に描いたラフ画を探すだけで数時間を要し、お陰で上記の青いテキストを発掘した次第です。はあ…

鬼畜度/★   狂い度/★   


■だるま妖怪相談所(8話)
脚本/星山博之 演出/西沢信孝 作画監督/入好さとる(イケメン御三家/ソース顔)

鬼太郎「ガブッといくぜえ!」

さあさあさあ。80年代を代表するスタジオのひとつジャイアンツから、作監/入好さとる堂々の登場ですよ。
しかし当時は堂々というよりはむしろトボトボとこの回の打ち合わせに現場に出向き、「あんた誰?」と冷たく
云われて行き場を無くし、とりあえず謝ってみたりした不遇のスタートでした。が。そこは「だるま」だけあって
まさに七転び八起き。背水の陣。見事ピンチをチャンスに変えて這い上がり、記念すべき作監デビューを果たします。
人生はこうでなくちゃ面白くありませんね。

そしてそんな入好さんの隠された必死さなど露知らず、腐れ学童であったこの私が当時目をランランと輝かせてナニに
驚愕していたかと云えば、Bパートの
子だるま達に集団暴行を受ける鬼太郎の責め絵カットなのでありました。
なんですかあの、コミカルな選曲とは裏腹の非常なるいかがわしさは!
鬼太郎の足からよじ登り下半身から上方へと責め入る子だるま達の図。子だるま達め何と羨ましい…!という嫉妬は
さておき。意志を持つ小さきモノたちが集団となって鬼太郎の身体を蹂躙するよこしまな行為とそれにうろたえ、惑い
不様な醜態をさらして悲鳴を上げる鬼太郎と、それを笑いながら見ている「だるま」の罵倒と高らかなる笑い声!

つい先刻までエラそうに説教を垂れていた鬼太郎を「何だそのザマは!」と笑うだるまの歪んだ小気味良い気持ちに
同調し、「ヤれ!ヤれ!」と一緒になって鬼太郎の陥落を願ったのは、果たして何の感情の発露だったのでしょうか。
それは初回で野暮ったかった入好作画が、この責め絵カットで途端に活き活きと愛らしい鬼太郎を描いた事と無関係では
ありません。責められ苦痛に歪む鬼太郎はこんなに魅力的なのだという事を教えてくれたのは、正にこの回なのですから。

出来れば封印しておきたいそんな仄暗い感情を腐れ学童がフツフツと胸の内に溜め込んでいた時分、必死の入好さんは
徹夜明けの目を血走らせながら次回の打ち合わせへと向かうのでありました。立派なムジナの金玉を描くために。

その他みどころ:一言いわせてもらえば、だるまに乗っ取られた「青空アパート」の存在自体がそもそも不気味でどうかしています。
あんな妙な外観と内装のアパートにマトモな人間が住む訳がありません。喜んで住みたがるのは妖怪と私くらいじゃないでしょうか。

鬼畜度/★★☆ 狂い度/★   


■不死身の妖怪水虎(9話)
鬼畜度/☆  狂い度/★★   

■悪魔のメロディー・夜叉(10話)

鬼畜度/☆  狂い度/★   

■妖怪キツネ・白山坊(11話)
鬼畜度/★  狂い度/☆   

■ざしきわらしと笠地蔵(12話)
鬼畜度/☆  狂い度/☆   

■おりたたみ入道(13話)
脚本/武上純希 演出/芹川有吾 作画監督/入好さとる(イケメン御三家/ソース顔)

ムジナ「ヘッ!俺を甘く見るな。ムジナの奥の手!」
鬼太郎「わっ!なんだこりゃ!!」
目玉親父「これがいわゆるひとつのムジナのたまきん袋じゃ!!」
(ムジナの金玉責めにあってる鬼太郎のカットに気合いが迸ってます。しかも金玉が立派にデカ過ぎです。
モノには限度があるだろうと…。)

「おりたたみ入道」という題名を持ちながらもその主役は「ムジナ」だったこの回は、奇しくも「むじな」という
題名を持ちながらその怪異を「のっぺらぼう」で表したハーンの怪談さながらに、ある種の騙しに満ちています。
この回のポイントは、「騙し」です。

「やいムジナ!もう一度だけ、騙して欲しい。もう一晩だけ、『ねずみ男の弟』に戻って欲しいんだ。」
こう告げた鬼太郎の厚顔無恥な思いやりと、目玉親父の「成る程。さすがは鬼太郎じゃ。」という無責任な後押しで、
気の毒なねずみ男はもう一晩、「何も知らない愚かな兄」を演じなければなりませんでした。

「ヘソの緒もタダのワラの灰、弟はムジナ。ねずみ男の顔が見物だぞい。ウヘヘ。」
子泣きじじいの独白は、「自分だけが真実を知っている」と思い込んでいる者の優越感から生じる浅はかさを
如実に感じさせ、そうして「何も知らないねずみ男」に自分たちは良い事をしてあげているんだという美しい連帯感を
生みました。美しい連帯感。その裏にある優越感と相手への蔑み。果たして何も知らなかったのはどちらなのでしょうか。

だから、自分とムジナの兄弟芝居を屋根の上から笑いながら見物している鬼太郎たちの前で、最後まで笑顔を絶やさずに
「何も知らない愚かな兄」を「完全なる見世物」として演じきったねずみ男に、私は拍手を送りたい。
どうせイロモノ扱いしかなされないならば徹底的に。笑いたくば笑え。仕掛けた愚かさを指摘して己の無知を露呈しろ。

自分が指差して馬鹿だ馬鹿だと笑っている相手に、実は笑われている。

そんな事実ならばいっそ騙されている方が、無知の上に成り立つ優越感に浸っている方がどれほど良いか。
「鬼太郎」サイドを選んで脳天気な勘違いをしている方がずっと、生き方としては楽なのかも知れません。

その他みどころ:入好鬼太郎の似合わない振袖女装はごく一部のマニアにきっと大人気だと思われます。

鬼畜度/★☆  狂い度/★   


■不老不死!?妖怪さざえ鬼(14話)
脚本/武上純希 演出/西沢信孝 作画監督/兼森義則(原画/稲野義信)

鬼太郎「何が釣れるんだい?」
鬼太郎「大物がかかるのを待っていたのさ。鬼太郎っていうね!」

偽物だ本物だと、当事者である鬼太郎本人にとっては一大事の大問題な出来事です。
しかしその両極端な現象のそれぞれの極みを好む私にとっては、つまらなくも「健全な鬼太郎」と、金と欲にまみれた
「不健全な鬼太郎」を両方同時に見られた事に(ついでに兼森フルヌードを拝めた事に)この上ない喜びを感じます。
どちらか一方に必要以上に偏ることは非常に危険なのです。独善的になることも腐敗しきってしまうことも、どちらも
周りが見えなくなります。そうしていつか「鬼太郎」の様に分裂しかねない、危険で濃密な毒を持っているのです。

「身体が動かないだろう。ウツボの毒で作ったしびれ薬を注射したのさ!」
それにしてもさざえ鬼のマニア魂には感服します。鬼太郎を食べるためだけに自作自演を繰り返してきた彼なのに、
鬼太郎が気絶してる隙にはあえて食べずに注射をほどこし、気がつくまで腕組みして視姦プレイとは。こだわってます。

更には「お前の若々しい妖怪細胞はどんな薬にも勝ると聞いた!お前の肉を食べて長生きするんだ!」
という猟奇的な台詞をあっけらかんと吐き、「ほっぺがおちそうなほど」美味な鬼太郎をグチャグチャと食べていた
羨ましいさざえ鬼ですが、一体ヤツに「鬼太郎を食え!」と囁いたのは誰なのか。気になって遡ってみると一番はじめに
アニメ本編で鬼太郎を食べたと思われるのは、同じく兼森さん担当回の磯女の連れ子でした。

つまり海の妖怪の間では、鬼太郎は美味しいご馳走として舌舐めずりしながら見られている訳ですね。素晴らしい…。

その他みどころ:可愛い人魚の子供の親が腹の出た中年のオヤジ人魚ってどうなんでしょうか。見事な発想力!子供の夢を壊し過ぎです。

鬼畜度/★   狂い度/★★  


■冷凍妖怪・雪ん子(15話)
脚本/大橋志吉 演出/小山崑・福留政彦 作画監督/古川達也

目玉親父「化け火!鬼太郎の身体の中へ入るんじゃ!鬼太郎なら耐えられる!」
(隙あらば鬼太郎の身体の中へと入り込む妖怪化け火の初登場です。)

大寒波に見舞われた北海道の大雪山に目的不明のまま集まって人を凍らせている雪の妖怪たちですが、
なかでも「雪男」といえばヒマラヤの…というこちらの常識を見事に外し、まさかナマハゲ風味なワイルダー
出てくるとは。なんだか昭和特撮モノっぽくて良いですね。思わず問答無用で惚れそうになります。

しかもそんな雪の妖怪たちの邪念が結集して生まれた化物は、「邪神の怒り」をテーマ曲に「邪」そのままの体勢で
背後から鬼太郎に襲いかかり「どうだ!」「グフフ!」などとよく分からなくも非常にいかがわしい攻撃を仕掛けて
いる様にしか見えない訳ですが。あれは一体背後から鬼太郎にナニをしていたのか。未だに気になってたまりません。
鬼太郎が熱く発汗すると同時に頬を赤らめて失神し、そして化物は咆哮と共にエクスタシー@昇天してしまう事実が
ナニカを物語っている様にも思えますが、そんなことを真面目に語っているのが我ながら気の毒にもなってくるので、
取りあえず言及は避けておくことにします。でも「雪国の人はヤってばっか」て褒め言葉、昔からよく聞きますよね。

その他みどころ:鬼太郎のカットにばかり総修正が入っていて非常に可愛いです。鬼太郎と他キャラとの作画バランスのずれがたまりません。

鬼畜度/☆   狂い度/☆   


■妖怪のっぺらぼう(16話)[ぬらりひょん]
脚本/星山博之 演出/芝田浩樹 作画監督/山口泰弘(ムチムチヤマグッチ先生)

目玉親父「鬼太郎!抱きつかれたら負けじゃ!顔を取られるぞ!」
(抱きつかれたら負け…。いいなあ。その卑猥なゲーム。大人の余興みたいで楽しそうだなあ。)

古代の石臼で先祖流しにされたぬらりひょん先生が、はるばる時空を超えて80年代に帰ってきました!
これもひとえに鬼太郎恋し…いえ、憎しの一念が生んだ妄念の成せる奇跡ですね。まあ愛も憎も似た様なものなので
どっちでも良いのですが、それだけ執着している鬼太郎とやっと御対面かと思いきや、いきなり壁に投げ飛ばされて
思いきり全身で拒絶反応を喰らってしまうぬらりひょん先生には少々同情してしまいました。現実はキビしいなあ。

ところでこの回の真の主役…それはぬらりひょんでものっぺらぼうでもなく、極悪なる指名手配犯の2人です。

指名手配犯・井名野義則(31才)/罪状:空き巣、宝石泥棒、万引き、ひったくり
指名手配犯・尾伊川一男(35才)/罪状:スリ、詐欺、無銭飲食、窃盗

これは…こ。こ、この2人は稲野さん&及川さんのスタジオバードコンビじゃないですかっ!!
(いなのん先生に至っては、更に兼森さんの名前まで入ってきてます。稲野&兼森コンビが堂々の犯人です。)

カリスマ稲野義信(+キャラデザ兼森義則)、そして及川さんを指名手配犯に仕上げるとは。凄い。凄すぎる。
ヤマグッチ先生の清清しい天然っぷりが恐ろしいほどにヒシヒシと伝わってまいります。ヤバいよヤマグッチ!!
こんなギリギリ過ぎる遊び心を見せつけられては、何だかこちらも黙ってはいられない気が勝手にしてきます。
相変わらず「へ931(屁臭い)」ナンバープレートをこだわって描き続けるヤマグッチ先生に密やかなる尊敬と
闘志を燃やしつつ、指名手配犯として華麗に鬼太郎世界に登場するいなのん先生と及川さんの姿を見ては80年代の
大らかなる気風に目頭が熱くなるのです。良い時代だ。清濁全部呑み込んで。本当に人も作品も良い時代だった!!

鬼畜度/☆   狂い度/★★  


■古代妖怪・毛羽毛現(17話)
鬼畜度/☆   狂い度/☆   

■妖怪天狐・地底王国の逆襲(18話)
鬼畜度/☆   狂い度/☆   

■ゆめ妖怪まくらがえし(19話)
鬼畜度/☆   狂い度/☆   

■半魚人の恋(20話)
鬼畜度/★   狂い度/★   

■コマ妖怪あまめはぎ(21話)
脚本/並木敏 演出/白土武・山寺昭夫 作画監督/清水明(清水並ギャグ!)

あまめはぎ「腹ァ減ってたまらん。あの2人の足の皮でも喰うか。」
(外見はコミカルなのに、とんだ猟奇趣味です。なんと素晴らしい。)

「通行人らにキノコを投げつけた変質者は裏通りに逃げ込んだ模様です!」
なんですかこれは。もうとにかくキノコまみれです。徹頭徹尾、キノコに対する執着とこだわりを見せました。
そういう何の役にも立たない偏ったこだわり方は大好きです。ところで、キノコというのはよく男根に例えられますが
この回も例に漏れず、それは見事な変態ぶりをキノコを用いての特殊設定という方法で見せてくれました。
ということで云うまでもありませんが「キノコ=男根」連鎖ということで、秘密裏に読み進めて下さい。

ネズミ男 「あー。なんか命令して。たまんない。あなたの言いなりになりたい!
あまめはぎ「そのキノコは『言いなり茸』と云ってな。ひとつ食えば丸一日ワシの云うなりじゃ。」

どうでしょうか。このいきなりの変態プレイは。その筋のマニアが大好きな「奴隷」とか「調教」なんていう
不埒な単語が頭をよぎります。もうあなたの「キノコ」無しではいられない身体なの。と、自ら告白させてしまう
なんという恐るべき術なのかと。何故この「言いなり茸」を鬼太郎に食わせて同じ台詞を云わせてくれなかったのかと。
そんな憤りはともかくとして、鬼太郎を狙う、キノコを用いての陰謀は更に続くのです。

目玉親父 「は!しまった!ここは『キノコ谷』じゃ!」
鬼太郎  「え?『キノコ谷』?」
あまめはぎ「そうとも!ここは妖術の使えない、日本でただ一つの場所だ!谷中のキノコが妖気を吸い込むのだ!
昔から妖怪の難所と云われている。お前の妖術も役に立たねえぜ!!」

なんでしょうか。この魅惑の設定は。そんな素敵な場所は一体どこにあるのでしょうか。いかがわしく毒々しいキノコが
むんむんと咲き誇るこの淫らな場所では、鬼太郎は非力同然なのです。周りの「キノコ」に全てを吸い取られて。
ここまでヤバい設定というのも、かなり珍しい気がします。そしてそんなキノコ連鎖の最後のとどめは、なんといっても
華麗なる変身を遂げたスーパーあまめはぎ、その人です。頭に生えている「キノコ」が、変身後、明らかに、元気良く
屹立し、強度を誇っているその姿を見れば、「そんなトコまでスーパーになったのか。」と感心せずにはいられません。
これだけは最後の「男の意地」というやつでしょうか。あっぱれです。
.
鬼畜度/☆   狂い度/☆   


■いじわる妖怪天邪鬼(22話)
脚本/大橋志吉 演出/芝田浩樹 作画監督/松本朋之(イケメン御三家/しょうゆ顔)

源次「どうせ都会の生活に挫折して、脱サラでもして、この店を始めたんでしょうよ。田舎モンは珍しがると思って。」
(本音というものは、こうも辛辣なものなのです。)

「世の中のことに腹を立ててんだろ?浮かれてる若い奴らが気にいらねえんだろ?
俺は昔から、幸福な人間を見ると胸がムカムカしてくるんだ!」
天邪鬼の言葉は、人の胸をえぐります。暗部をさらけだし、偽善を笑い、そして真理をつく。
その言葉のもつ力は非常に魅力的で扇動的で、だからそんな言葉を放つ彼自身の成り立ちに、私の興味は向かうのです。

目玉親父「しまった!天邪鬼は『悟りの妖怪』とも云われ、相手の心は何でも見抜いてしまうんじゃった!」

聡明で繊細な者だけが持つ「見抜く力」。そんな彼が様々な相手の心を見抜いた先には何があったのでしょうか。
邪心・下心・嫉妬・裏切り・・・・哀しいことに、人の「邪心」というものは実によく見えるものなのです。
無邪気で純真な彼はそれでも諦めずに「見抜き」続け、そして、とうとう、繊細な心は壊れてしまった。

彼は強い強い「嘘つき」になります。付け入る隙を与えない、聡明さや繊細さとは無縁の醜い姿に自ら成り果て
そして出会った源次にこう自己紹介するのです。「人は俺のことを『天邪鬼』って呼ぶけどな!」

***

児なき爺「こうして眠っておれば子供みたいに無邪気なのにのう。
ちょっと油断するとすぐに人の心の中に入り込んでしまうんじゃ。」

そう呟いた児なき爺は、天邪鬼に毒をすすめて彼を騙した張本人です。
そうして天邪鬼はまたしても、純真な心をひとつ、殺されました。全ての人の心の中に住むという「天邪鬼」を
起こしてはならないと目玉親父は説きますが、それは本当は「純真」と同義なのだということを解さないかぎり、
彼は何度でも現れ、そして何度でも殺されることでしょう。
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鬼畜度/☆   狂い度/☆   


■電気妖怪かみなり(23話)
脚本/武上純希 演出/石田昌久 作画監督/山口泰弘(ムチムチヤマグッチ先生)

ムギコ「太鼓を持ち、とらの皮のふんどしをしたアレのことですわ。」
(電気妖怪の説明の仕方がとても素敵な女性です。)

「ピンサロ オール1時間一万円ポッキリ!」など不埒な貼り紙を好んで描くヤマグッチ先生ですが
どんなに周りが穢れていても鬼太郎だけは清く正しくムチムチヤマグッチです。
「ボク、女の人に頼まれるととても勇気が湧くタチですから!」こんな台詞をいとも簡単に爽やかに
云えるのも、かみなり先生に元気よく「捕まえたぞー!」と体当たりして抱き締め合い、くんずほぐれつを
かませるのも、全てムチムチヤマグッチ先生の成せる技です。なんですかあのシーンは。
しかも閻魔大王と同じ声のかみなり先生と鬼太郎であんな色場を演じるとは。鼻血が出るかと思いました。

それにしても全編とおして非常にコミカルかつ爽やかです。かみなりとの戦闘も、結局2人で熱く抱擁した
だけで腹が減りギブアップ。あっけらかんと天真爛漫なヤマグッチ鬼太郎には本当に心が癒されます。
雨山博士に金色にコーティングされたまま放置プレーの化け傘2匹を見ている時と同じくらい、癒されますよ。
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鬼畜度/☆   狂い度/☆   


■子供が消える!?妖怪うぶめ(24話)
脚本/山崎晴哉 演出/西沢信孝 作画監督/清山滋崇(影3段の男・体臭の作画)

村山「いいや、お前も仲間だろう。顔を見ればわかる!」
鬼太郎「顔のことはお互い、言えないんじゃないですか!?」

体臭の作画の清山さんにふさわしい、全編通して糞尿の甘酸っぱい臭いが立ちこめるこの素晴らしい話は
臭います。とにかく臭います。ここまで臭いを強調した回も珍しいです。そのくらい臭います。糞尿が。

目玉親父「このうぶめという妖怪は昔からヘンな趣味があってのう。干してある布団に自分の足型をつける
んじゃ。足型をつけられると、その布団を敷いて寝た子はおねしょをするんじゃよ。

冒頭からこのいきなりのマニア趣味の露呈。やってくれるじゃありませんか。驚愕ですよ。
そしてお子さまたちによる「おねしょソング」の披露、「やーい!小便小僧!くせえ!くせえ!」の小便大合唱。
更には赤子のちんちんから勢いよく発射された小便を受けてのネズミ男顔面放尿プレーでフィニッシュと。
云いたいところなのですが。
変態の洗礼は容赦なく、うぶめ自らその「ヘンな趣味」を最大限に発揮して遂に鬼太郎をもその餌食とするのです。

鬼太郎「なんだ!この溶岩みたいなモノは!?」
目玉親父「うぶめのじゃよ!!」

鬼太郎の心の準備も出来ないうちに、うぶめは鬼太郎の顔面に糞を塗布するという、いきなり高度な
スカトロプレイを見事に実行してしまいました。しかもそのまま鬼太郎を食らうという「糞食」までを
華麗にこなしてみせるこのマニア魂。感服です。
さすが目玉親父にヘンな趣味などと云われるだけのことはあります。変態はヤる時はヤるのです。

ところで。
「彼のおしっこも、うぶめの仕業なのかな・・」などと魅惑の台詞を鬼太郎に云わしめた
村山家の長男・秀夫ですが。彼の場合は、小学校高学年という推定年齢を視野に入れると
「おねしょ」ではないもうひとつの可能性が指摘できます。
「でも昨日だけは・・・。どうしてだかわかんないよ!」
と、泣きながら恥ずかし気に告白する秀夫に免じて、その思春期の可能性は伏せておきますが。

それにしてもこの村山家の主・妻ツネ子・息子秀夫というのは誠に強烈な醜いブルジョワ家族でありました。
これも体臭の作画・清山さんならではの見事な人間描写です。
あんまり見事だったので思わず昔「清山フェア」を開催してこの家族をトップ絵にしたくらいです。
暑い夏の出来事でした。ちなみに当時の画像を2時間かけて探したのですが見つかりませんでした。
非常に残念です。
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鬼畜度/☆    狂い度/★★☆ 


■妖怪ぶるぶる(25話)
脚本/武上純希 演出/棚沢隆 作画監督/金子康良

星郎「鬼太郎さんの云うことに間違いはない!黙ってついてらっしゃい!!」
(半信半疑の駐在さんに対して。鬼太郎に対するこの絶対的信頼感と依存度ったら・・恐ろしい子!)

怒濤の天童家、その主人の正夫が鬼太郎に魅入られた瞬間から、この家族の価値観は変わってしまいました。

ユメコ「鬼太郎さんが招待してくれるなんて、どんな素敵な温泉かしら!」
星郎 「キノコ鍋たのしみだな!」
正夫 「峠の旅館はまだかなァ!」
優子 「もうすぐよ。峠をあと少し降りたところ。」

山道をひた走る車の車内では、この様な鬼太郎中心の話題で和気あいあいとしております。実に楽しそうです。
これは実はネズミ男が仕組んだ事で、鬼太郎名義の招待状を天童家に送ったということが後に分かるのですが。
そんな単純な嘘に天童家がまんまと引っ掛かってしまったのは、これもひとえに鬼太郎からの招待状を見た正夫が
矢も盾もたまらずに仕事を投げ出して「さあ!出発だ!」とリビドー発進をしてしまったからに違いありません。
もう少し落ち着いて、せめて本人に確認くらい入れなさいよ。いい大人が。と思わずこちらが心配してしまう程の
正夫の熱情は、運転中ぶるぶるにとり憑かれて全身凍り付き、対向車のトラックに激突後、ガードレールを突き破って
温泉に車ごと突っ込んで大破したって治まりはしないのです。あのシーンはビビりました。不死身の天童家です。

ところでこの回は、鬼太郎がユメコ嬢を全裸に剥いてバスタオルを巻き、お姫様だっこをして温泉に入れた事で
有名ですが。大体脚本が武上さんですから。そのくらいのことは朝飯前です。それはそれとして。

「鬼太郎さん・・・寒い・・・!」と全裸でユメコ嬢が湯舟から頼んでいるのに、懇願を受けた鬼太郎はといえば、
何とヤカンでユメコ嬢の湯の近くにお湯をかけて温めるというマヌケさです。そりゃヤカンだって凍り付きます。
あのシーンはユメコ嬢の心情描写の様でとても好きです。つまり。女が裸で寒いと訴えている時は、男なら黙って
自分も全裸になり抱き合って身体を温めるくらいのことはしろ。ということです。バカたれが。何と勿体無い!

その他みどころ:「やあ鬼太郎くん!昨日はどうも!」と、昨日全壊した筈の車で颯爽と登場した天童家には頭が下がります。
その後鬼太郎を車内に連れ込んで、車中ではどんな光景が繰り広げられていたのかと。妄想が止まりません。パラダイスです。
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鬼畜度/☆   狂い度/★★☆ 


■おばけナイター(26話)
脚本/星山博之 演出/今沢哲男 作画監督/山本福雄(原画スタッフ/平田かほる)

鬼太郎「今までは人間にあわせた肩ならし。これからがボクの本来のピッチングだ!」

ユメコ嬢がまたしても夜間外出を行いました。しかも堂々の朝帰りです。
鬼太郎さんが野球をするのォ!絶対行くんだから!と娘に言い寄られては、正夫もダメとは云えないのでしょう。
あるいは鬼太郎の華麗なフォーム見たさに、正夫自ら、あの魑魅魍魎ギャラリーの中にいたかも知れません。
それにしても物凄いギャラリーでした。試合の行方よりも気になります。異形の群れとは正にあの光景でしょう。
あんな化け物たちの中にあって全く動じず、嬉々として楽しそうなユメコ嬢を見ていると何とも心が和みますね。

ユメコ「万年くんていう凄いバッターがいるって、女の子に大人気よ。
    聞いた話では、なんでもプロ野球のスカウトが今から注目してるんですって!」
鬼太郎「ちょっと事情があってね。そのラッキーズと試合をするんだ。」

事情を知らないユメコ嬢に対する鬼太郎のこの冷め切った表情と必要最低限の言い回しに、大人びた諦観を思います。
当事者同士のドロドロやいざこざ、感情のもつれ、喝采の裏の醜さと争い。そんな本人同士にしかわからない葛藤など
知りもせずに、表層だけをみて浮かれ騒ぐ一般大衆。彼等に対する最もラクな対応とは、最早、何の興味も示さない
ことだと。自分の苦悩や主張など通すだけムダ。流してしまうことだと。積年の苦しみの果ての穏やかな諦観の表情を
このはつらつとした3代目に見る時、今だ「自己保身」に必死にしがみつく万年少年の姿がとても哀れにうつります。

「自分を騙し、人も騙して、取り返しのつかんことになるぞ。」
「このままだと努力をしない人間になってしまう。それが心配でのう。」

目玉親父の優しい言葉は、しかし残念ながらこの厚かましい少年には届かないでしょう。
穏やかな福の神すら巻き込んで、それでも「自己保身」から離れられなかった人間に「善意」は全て仇になります。
「善意」の通じる人間と通じない人間、値すらしない人間。
そこを上手く切り捨てていかないと、人間に絶望してしまった鬼太郎がいつか悪の道に走りやしないかと、
思わず心配になるのです。
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鬼畜度/☆   狂い度/☆   


■妖怪ふくろさげ(27話)[閻魔大王]
脚本/大橋志吉 演出/芝田浩樹 作画監督/入好さとる(イケメン御三家/ソース顔)

目玉親父「行くのじゃ鬼太郎。魔界へ行くのじゃ。もうそれ以外に方法はない・・」
鬼太郎「魔界・・・・!」
(こうして鬼太郎と閻魔大王は運命的な出会いを果たしてしまいました。)

この回は冒頭から鬼太郎の温泉入浴シーンで始まるなど、下世話な妖怪とタイトルにふさわしく、
見事なまでの「ダイレクトなエロ」というものを惜し気もなく全面に押し出している貴重な話です。
初期入好作画の可愛らしい鬼畜さも相まって、本来「怪異」が持つべき凶暴さとエロスのほどよい
調和を生み出した、そして、学童時分の私に強烈な衝撃を与えた、なんとも罪深い初期の傑作であります。

そのいかがわしい鼻の下の凶暴な牙で、相手の妖怪エネルギーを吸い付くしてしまう妖怪ふくろさげ。
ヤツに妖力を吸い取られた妖怪は、誰もがまるで精力の枯れ果てたボロキレの様になってしまいます。
その姿はまさしく「もう一滴も出ません。」といった風情で、つまり妖力が精力と密接な関係にあると
いうことは「ふくろさげ」という卑猥な名前を持つ妖怪の性質を考えても容易に想像がつくのです。

そして、精力旺盛なヤツに勝つには更に強い精力を!という、何とも男根中心の男らしい方法を選択した
鬼太郎が「精力くださーい!」と必死の思いで訪れたのが、魔界・閻魔大王庁だったのであります。

鬼太郎 「という訳でして・・・」
閻魔大王「そのために妖怪エネルギーが欲しいという訳じゃな。」
鬼太郎 「はい。」
(無言で意味深に見つめ合う2人。この秘匿感がポイントだと思います。)
閻魔大王「グフフ・・・。よオし分かった!力になろうじゃないか!」

鬼太郎 「ふうっ・・・んっ・・んふっ・・!んんんんっ・・・んっ!」
閻魔大王「これだけの妖怪エネルギーを吸収出来るのは鬼太郎を置いて他にあるまい・・・。グフフ。」
鬼太郎 「んんっ・・・あっ!ふあっ!あああああっ!!

なんですかこれは。最早聞いているだけではナニをしているか分かったものではありません。エロ過ぎます。
鬼太郎が耐え切れずに絶頂を向かえる瞬間までを閻魔の視点で延々とねちっこく描写するに至っては、当時、
学童だった私がどれだけ歓喜して驚愕したか。この回だけの鑑賞会を友人宅で開催した在りし日が懐かしい。
などと、思わず興奮のあまり話が横道にそれましたが、この際ですから更に話を続けさせてもらいますと。

精力満タン鼻血も垂らす勢いの鬼太郎とふくろさげとの決戦は、これまた「ここまでヤるか」と唖然とする
ほどのいかがわしさでありました。暗い下水道の中で、鬼太郎の両肩をがっしりと掴み、涎まみれの口で
「いただき・・」と呟いてその華奢な肩に牙を食い込ませる描写のエロさは確信犯的なものだと思います。
更に続けて鬼太郎の「ホラホラ〜!もっと吸え!!」に至っては、これは最早お子さま向けのアニメでは
ありません。完全に放映時間帯を誤っております。そのくらいエロかったんだということを、少しは反省
せんかあああああ!

その他みどころ:鬼太郎の下駄を、鬼太郎の目の前で嬉しそうにちゅうちゅうしゃぶるふくろさげはマズいと思います。
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鬼畜度/★★☆  狂い度/★★☆ 


■田を返せ!妖怪泥田坊(28話)
脚本/山崎晴哉 演出/白土武・山寺昭夫 作画監督/清水明(清水並ギャグ!)

鬼太郎「ぬりかべー!一人も通すな!」
(よつんばいで必死に叫ぶ清水鬼太郎が愛おしいのです。)

返せ、返してくれと、人や物に固執する人間というのは醜いものですが、これが妖怪となると途端に悲哀を帯びる。
しかもそれがドロドロのグチャグチャ、エログロの極みの様な泥田坊ですから悲哀を通り越して恐怖です。怪奇です。
私が一番怖かったのは、何と云っても新幹線よりも早く走る泥田坊です。しかも集団で走るんですよ。
一時期ちまたで流行った都市怪談など目じゃありませんよ。あんなグロ生物がマッハで走ってきたらウンコもらします。

泥田坊が現れるのは雨の降りしきる晩、というエログロ生物にはおあつらえ向きの条件も整い、清水鬼太郎と泥田坊との
戦闘シーンは効果音までが「グチョ!」「グプ!」と非常にいかがわしい事になっておりました。
そしてなんということでしょう。どしゃ降りの線路の上で無防備にうずくまった鬼太郎を、あの泥田坊どもが集団で
よってたかって嬲る!嬲りまくる!殴る蹴るの暴行の上、線路から蹴飛ばして突き落とすなど、なかなかの容赦ない
凶暴ぶりには思わず口元がゆるみます。雨の中グッタリとよつんばいになり、肩で息をする鬼太郎の見事なダメっぷり。
ここまでヤられまくってダメだった鬼太郎というのも珍しい気がします。

それにしても羨ましいのは「化け火」のヤツです。あやつらは今回もそうでしたが、時々ああやって鬼太郎の口から
鬼太郎の体内に入り込んで熱を放射しやがるのです。体内に入り込んで放射、しかも鬼太郎は四つん這いです。
「鬼太郎が耐えきれるギリギリまで温度を高めるんじゃ!」などと目玉親父公認のもと、まあ本当に羨ましい話です。
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鬼畜度/☆    狂い度/★   


■妖怪ひでり神(29話)
脚本/武上純希 演出/芹川有吾 作画監督/松本朋之(イケメン御三家/しょうゆ顔)

森田「私も漫画で20年メシ食ってきた編集者です!こんなモノ連載したら名がすたります!」
(マニア魂とプロレタリアートと男の誇りと。とにかくエライぞ森田。下手すりゃ食われていたのに)

売れない出版社「週間少年ヨーカイ」の編集者・森田が、妖怪漫画家のひでり神の家に原稿を取りに入って行方不明
という、なんともアキバ系オタクの心をくすぐりそうな設定です。くすぐりませんか?アキバ系を誤解してますか?
それならもうひとつ。その漫画編集者の森田の息子ヨシミツは、なんとアキバ系の「萌え」を凝縮したかの様な
「メガネのおかっぱプニっ子坊や」です。これはさすが、オタ街道まっしぐらの父親にしてこの子あり。
見事だ。と、確かなる「萌え」の手ごたえを感じるのですが。感じませんか?
まだアキバ系「萌え」を誤解しているのでしょうか。私は。

「オラ大人しく洞穴で絵を描いてただけだ。そしたらネズミ男がうめえ飯たらふく食わせてくれるって近付いてきて・・」
ひでり神の台詞は、この一億総人口オタク中毒の現代日本においてはあまりにもリアルです。
おだてられてその気になり、他者に叱咤されたくらいで自信を喪失して逆恨みをし、引きこもって私怨と化し、そして
匿名や偽名を用いて憂さを晴らす。
もしくはひでり神の様に、小利口な第三者によっていい様に利用され、そして最後はボロ屑の様に捨てられるのです。
自我を持たない。芯の強さもない。生温い環境で培養されたオタクの果てを、既に80年代に発信していたとは!
その先見の明にはただただ感服です。

そういえば森田家にあったあの三角時計、あれも当時は「王様のアイデア」一押しの最先端商品でしたね。
あの音声時計は視覚障害者の方々にとても好評で、金バージョン・銀バージョン、そして電卓型音声時計へと、その後
様々な音声商品の先駆けとして発展を遂げたことも、最後に記しておきます。たまにはマトモな事も書きますよ。

その他みどころ:ネズミ男が「4月の誕生石ダイヤモンド」と云うところからユメコちゃんの誕生日は4月だということが発覚しました。
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鬼畜度/★    狂い度/★   


■妖怪見上げ入道(30話)
鬼畜度/★    狂い度/☆   

■オベベ沼の妖怪(31話)
鬼畜度/☆    狂い度/☆   

■鬼太郎危うし!妖怪大裁判(32話)

鬼畜度/☆    狂い度/★☆  

■妖怪あかなめ哀しみの逆襲(33話)
[閻魔大王]
脚本/星山博之 演出/今沢哲男 作画監督/平田かほる(イケメン御三家/色気担当)

目玉親父「何だか被害者はあかなめだった様な気がしてならん。」
(真理です。被害者ヅラしてビービー騒ぐ奴にロクなのはいません。無垢なあかなめが愛おしいです。)

山本さんから引き継いで、異形と耽美の名手・平田さんの作監デビュー作品です。気合いが違います。
どこに気合いが向かったかと云うと、自衛隊のオヤジ連中にです。平田さん。平田さん趣味に走り過ぎです!
どんぐりまなこの幕僚長、その側の黒い眼帯をしたマニアな部下、そして最前線で指揮を取る下まつげの素敵な
ダンディー隊長と、とにかく東京を守る対策本部が危険なオヤジで満ちています。東京、危うし。

そして危険なオヤジと云えば、この回の閻魔大王は「ふくろさげ」に続いてヤバさ炸裂でした。
あかなめの体内から閻魔大王に助けを求める鬼太郎。その声を、閻魔大王庁で昼寝をしていた閻魔大王は
「この声は・・鬼太郎!?」とすぐさま飛び起き、そして鬼太郎の家にある妖怪テレビとお揃いのテレビに映る
鬼太郎をまじまじと見つめ、遂には「人間と妖怪を仲良くさせようと戦っている鬼太郎を死なせる訳にはいかん。
鬼太郎!待っておれ!!」と念力を飛ばし始めます。そしてなんとあかなめの体内・鬼太郎の眼前に自分の逞しい姿を
見せつけるという気合いの入れ様です。自分が鬼太郎に頼りにされたのがよほど嬉しかったと見えます。

それにしても気になるのは、この回でしか見られない鬼太郎の閻魔大王に対する不遜な態度です。
「閻魔大王ー!」と虚空に向かって手を伸ばし、「力を貸してくれ・・・うっ!」とタメ口で閻魔を呼びつけるとは
一体どうしたことなのでしょうか。大体、閻魔大王が鬼太郎にだけ異常に甘過ぎるから、この様につけあがるのです。
それとも何ですか。こんなに親しくタメ口になる様な事でも、「ふくろさげ」以降の2人の間にあったのですか。ええ?
などと、突然逆上して相手もいないのに一人で絡み始めましたので、この辺で妄想はやめておくことにしますが。

しかししつこく云わせてもらえば、鬼太郎と閻魔でお揃いの妖怪テレビというのは、これはどうかしています。
あのテレビを使って、閻魔大王はいつでも鬼太郎の家を覗き放題な訳ですよ。これは。いかがなものかと。ほんとに!
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鬼畜度/☆    狂い度/★☆  


■ばけ猫国道0号線(34話)
鬼畜度/★    狂い度/★   

■妖怪赤舌の千年王国(35話)
鬼畜度/☆    狂い度/☆   

■異次元妖怪かまなり(36話)
鬼畜度/☆    狂い度/★   

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